買うか、もらうか、とるか。梅をめぐる攻防。
こんにちは、カリーナです。
昨日の夕方、いつものようにスーと散歩してたらスマホが鳴りました。近所の友だちが梅をもらってくれないかと言うのです。
この友だちは去年、友だちの友だちにたくさん梅をもらい「こんなに傷だらけの梅で梅干、漬けられるかな」と悩んでいました。であるからして、もらってくれという梅は、その友だちの友だちの梅に違いありません。「もう、今年はわたし全然いらんねん。でも、どうしてももらってって言われて」とのこと。
結果、わたしともう二人、計3人で分けることになりました。

話が決まったのでスーを連れて友だちと梅の待つ方向へ歩いていた、そのときです。学校の脇の街路樹のあたりにおじいさんとおばあさんの影が……。
むむ。少し高さのある土地なので「よっこらしょ」と上らなければならない場所です。あの高さを、ご高齢のふたりが上ったのか。しかも、この茂みに人影を見ることなんてないんだけど。しかも、何やら、農作業めいた動きをしているぞ。
梅だ。
そうです。梅なのです。そこには1本だけ梅の木があり、ちょうど今いい感じで実っているのです。しかも、わたしの友だちがくれるという梅より、ふっくらとして、買えば高そうな高品質梅!
なぜ知ってるかというと、いつも、いくつか梅の実が地面に転がっていて、スーが口にくわえてはペッと出すからです。そのたび「うん、いい梅だな」と毎年、思うのです。
よく見ると、おばあさんは足元にバケツを置き、おじいさんは「ほら、あそこも。ここも」と言いながら収穫に勤しんでいます。一網打尽にするつもりのよう。一つ残らずバケツに入れて持ってかえるつもりの模様。そして、ただで梅干をつくるつもりの模様。自分で採取したという自給自足的な充足感も味わうつもりの模様。
いやあ、片や、「いらんからもらって」と言われる梅、片や「ぜひとも欲しい」と求められる梅。梅にも格差があるなあ!
それにしても梅、たけのこ、銀杏は、都市近郊の街路樹や公園で採取される3大食用植物ではないでしょうか。山のほうに行くと、ここに山菜が加わるんですかね。(梅たこ銀杏って芋たこ南瓜のようで語呂もいいですね)
とはいえ、街路樹や公園の果実は一応、とっちゃいかんことになっているのです。かつて公園に「たけのこを無断で掘ってはいけません。窃盗です」と看板が立てられている時期があり、ネットで調べてみたら公園管理者の許可なく公園の果実等をとってはならないと書いてありました。
落ちてるドングリとか、落ちてる銀杏とか、落ちてる系はいいっぽいですけどね。あと昆虫採集は別の法律なので、それもいいっぽい。
そういうわけで、わたしは、このお二方が市役所にわざわざ電話して特別に許可をもらっていない限り、白昼堂々行われている窃盗行為を目撃していることになるのです。
実際には、見つかっても罰せられることはないでしょうし、誰もとらないまま朽ちていくぐらいなら、だれかがおいしい梅干にしてくれたほうがいいともいえます。だから、いいんだけどね、別に。
だがしかし…。
なんだか、ちょっと「抜けがけ」に感じる。自分はとらないんですよ。とるつもりもないし、とる熱意もない。つまり、とる気がないのにちょっと「抜けがけ」に見える。そして、なんとなく「せめて暗くなってからにしたらどうかな」と思ってしまう。「みんなの梅でもあるんだぞ」と思おうと思えば思える気がする。とるつもりないのに!
この感覚って、スーパーで「あ。半額になってる」と手を伸ばそうとした瞬間に、そこらへんの半額商品を大量にかっさらっていく「見切り品マスター」に遭遇したときの「やられた」感に近いんでしょうか。
なんか、こう、普段は何も感じていない「街路樹の果実」がいきなり「獲物」になり「共有財産」になり「私物化」になり、「窃盗」になり……ああ、忙しい。梅って罪作り!

そろそろ、このあたりは山桃の季節です。公園の地面に落ちた実は、フルーツ男子・スーの好物。秋は落ちた柿を食べ(いったんカラスがとって落としたもの)、冬は車輪梅の実を食べます。
車輪梅、道路脇によく植えられている乾燥や風に強い低木です。外に映えてるだけの木なんだろうなと思っていたら、雅姫さんがクリスマスの時期に部屋に飾っていました。果実は無毒で食用になりますが、実際に食べてみたら、あんまりおいしくなかったです。しかし、奄美大島の大島紬の染料はこの木なんですよねえ。日本が誇る高級伝統工芸を支えながら、デカい顔もせず、排気ガスにまみれている。頭が下がるな。
そういうわけで街路樹にも実力者わんさか。みなさんは、今年、梅干しや梅酒など作りますか。買った梅で?もらった梅で?育てた梅で?とった梅で?(笑)
オバフォーは今週もコツコツ更新します。時間のあるときに遊びにきてください。待ってまーす。