クズ男のための『天国の日々』
テレンス・マリックの映画『天国の日々』を見た。第一次大戦あたりのアメリカのテキサスを舞台にした美しい映画だ。夕暮れどきの光を狙い、1日のうちたった20分しか撮影しなかったという伝説の映画。この映画は高く評価されたのだが、その後、20年間もテレンス・マリックは映画を撮らなかった。
美しいのは映画のなかの風景だけではない。登場人物たちの粗野だけれど、うぶで優しい眼差しもまた美しい。特に主人公のビル(リチャード・ギア)は、どうしようもない男だが、だからこその魅力に溢れている。すぐにキレる。すぐに揉める。そして、都合が悪くなるとすぐに逃げる。ときには、目先の金に釣られて、恋人を病弱な金持ちの農場主に「くれてやる」ような真似までする。
なのに、僕らはビルから目が離せない。荒野の夕暮れの光の中で、不器用にしか生きることができないビルは、なぜか僕らの胸を打つ。「馬鹿だなあ」と呆れながらも、憧れてしまう。なにしろビルは、僕らが思うだけでできないことを、平気でやってのけるのだ。
いまの時代に、ビルのような男がいれば、みんなから総スカンだろう。自己責任を問われ、倫理を守れだの、空気を読めだの、やいのやいの言われてしまうはずだ。誰かを傷つけるようなことは許されないし、何よりも正しくないことを責められてしまう。
確かに、いまの時代は正しい。少しでも法を犯すようなことがあれば弾劾されるし、法を犯さなくても、大多数が気に食わないことをすれば抹殺される勢いだ。誰もが安心して働き、暮らし、愛し合えるように、というルールは整えられている。でも、整いすぎた世界には物語は生まれない。そして、物語が存在しない世界に人は生きていけないのだ。
ビルは間違いだらけだ。でも、彼には輝くような感情があった。不器用で身勝手だけれど、なにかに賭けてしまう熱さがあった。僕たちが、あんなやつ許せないと思いながらも惹かれてしまうのは、ビルが僕らの生きづらさを象徴しながらも、可能性や希望に飢えて、足掻いているからかもしれない。
この映画に登場する人たちは、みんなどこかに欠けたところを持った人たちだ。それでも、彼らが風にたなびく逆光の夕日の中で、襲い来るイナゴの群れを呆然とみているシルエットは、どうしようもなく美しい。その美しさを僕たちは目を細めながら見つめている。いまさらクズを演じても潰されるだけだが、クズが輝いていた時代にワクワクし、心を躍らせてしまうことは、決して間違いじゃないと思う。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。