【月刊★切実本屋】VOL.94 買わないマンションと飲めない酒の話
魅力的なノンフィクションを続けて読んだ。『[ルポ]秀和幡ヶ谷レジデンス』(栗田シメイ著)と『酒を主食とする人々: エチオピアの科学的秘境を旅する 』(高野秀行著)だ。

『[ルポ]秀和幡ヶ谷レジデンス』は、1960年代に登場して、「青い瓦屋根 白い塗り壁 アイアン柵のバルコニー」のオシャレさで一世を風靡した秀和レジデンスのひとつ、秀和幡ヶ谷レジデンスの管理組合と住民たちとの4年間の死闘の記録だ。まさに「事実は小説より奇なり」を地で行く、手に汗握る展開の連続で、久々に夜更かしして一気読みした。
この秀和幡ヶ谷レジデンスは以前から「渋谷の北朝鮮」と呼ばれ、近隣(もしかしたらもっと広範囲)でつとに有名だったらしい。それにしても、なんてパワーワードだろう。この言葉だけで、管理組合がいかに歪んだ体制であったかが想像できるところが怖ろしい。とにかく、規則が謎で理不尽で異常なのである。築年数が古いとはいえ、新宿駅から2駅の幡ヶ谷、そこから徒歩4分という最高の立地条件であるにもかかわらず、ここの評価価格が相場に比べて格段に低かったのはこの体制が原因だと言われていたのだ。
住民たちは声を上げる。が、成果はなかなか出ない。先陣を切るが病に倒れる人、マンション管理の勉強をして住民代表になるジャンヌダルクのような女性(この方も病を隠して活動していた)、陰になり日向になり活動をフォローする人々、後半に彗星のごとく登場する癌サバイバーの男性‥と立ち上がった住民たちの状況も参戦のしかたもさまざまだが、こぞって知的だ。

紆余曲折、ネガティブな状況の連続でもギリギリ空中分解や活動を頓挫させない原動「力」があるとしたら、それは知力なのだろう。しかし知力は「力ずく」や「勢い」を迂回しがちだ。だからなかなか先が見えない。住民の年齢層が高めのこともあって、健康上の理由で離脱する人も少なくない。手詰まりとしか思えない状況が続き、どうしても焦れる人たちが出てくる。
それでも、知力があれば潮目の変化がやってくるのだと、読んでいて感じ入る場面が複数回あった。それが印象的だった。
そしてついに「運命の」2021年11月6日を迎える。時間ごとに詳細に記されるこの日の総会の緊張感たるや!事実は小説より奇‥というよりエモーショナルだ。
この本では、長らく独裁政権を敷いて、かつ強いて来た理事長の人となりについても触れられている。結果を受け入れようとしない彼は、取材のガードも固く、現在も自分の正当性を主張し続けていて、独自の倫理観は崩れないようだ。見ている場所が違う。そのことが不穏でリアルだ。
まだ5月だが、今年のノンフィクションベスト1候補と断言してしまう。
もうひとつのベスト1候補は『酒を主食とする人々』だ。辺境ライター高野秀行氏の新作である。長いこと「高野秀行本にハズレなし!」と思ってきたが、ハズレがないどころか、どんどんおもしろさと深さが増している感じだ。
高野さんは、自身の「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」というポリシーから想像するような剛健で屈強な感じの人物では一見ない。今回の本でも、出発の際のごたごたに凹むし、限りなく最悪な体調不良に見舞われ、こちらが「行くのをやめた方がいいのでは?」と声をかけたくなるような危うさである。
でも、彼は行くのだ。ドキュメンタリー番組のロケという引くに引けない事情はあるが、引くに引けない事情はなくても高野さんは行くだろう。<順調じゃない旅こそおもしろい>教の大明神様の御神託が彼の体内で重奏低音のように響き続いているにちがいない、わたしの体内で「頼まれもしないことこそ楽しい」という音が鳴り続けているように(並列に書くな!畏れ多い!)。
今回は、エチオピア南部の、酒を主食とする2つの部族を訪ね、2週間にわたってともに暮らす行程だ。わたしは酒が飲めないが、何で飲めないのだろう?と忸怩たる気持ちになるくらい人々は健康的で、生活の一端を垣間見るのがおもしろかった。
われわれ(というよりわたし)がイメージする「アフリカの少数部族」の暮らしは半裸、原始的な生活‥的に旧態依然のままだったりするが、当然、そんなことはない。でも彼らにも、極東の中途半端な文化下に暮らす人間どもが自分たちに抱くイメージを観光という生活の糧のため保とうとする逞しさ、狡猾さがあり、それがロケ隊を翻弄するシーンは可笑しくてしみじみする。
社会が形成されればついて回る決まりごとや善悪の基準や正誤の概念や人やモノとの距離感、コミュニケーション方法、感情表現‥などなどは、当然、国や生活水準で違っているのに、なぜか読んでいるうちにどこもそんなに違わないような気がしてくるのが不思議だった。それは「人間の感情は同じ方向性を持つ」などという人間工学(←テキトー)的結論に行き着く感じではなく、もっと原初的な生存本能に由来する「生き残るための処世術」に近いようで、納得した。同時に、人同士、どうしても分かり合えないことはあるし、激しく価値観が異なる人々もいるのだ、みたいな感慨も覚えた。要するに、読んでいる間中、価値観があっちこっちにブンブン揺さぶられまくったのだ。
その象徴が酒だ。主食とする人々の健康状態や体格が、それまでの社会の常識を覆したり、おびやかしたりする。聞いて来た話と違う‥になって、常識や通念の脆弱さにとまどうが、だから自分の五感を駆使してフレキシブルに生きた方がいいんじゃね?と言われているようで、それをするかしないかは別として、読後感が清々しかった。
酒が飲めないのに飲みたくなってしまった。
by月亭つまみ