扉の壊れた家具を拭きながら、「自分みたいだな」と愛しくなった話(写真付)。
こんにちは、カリーナです。
つかぬことをうかがいますが、みなさんちの家具は、扉、ついてますか。
うちは、先日、調味料入れの扉を何気なく開けたら、突然外れて落ちてきました。調味料入れが家具?と思われるかもしれませんが、この家に引っ越したときからすでに台所の壁面に備え付けられていたので、わたしにとっては「備え付け家具」感覚。
設置場所も形も違うけど、扉の開き方はこういうやつ。よく見ると接合部分が壊れていたので修理はあきらめて、扉はないまま使っています。
そういえば、うちは食器棚のガラス扉もひとつありません。この食器棚も前に住んでいた人が置いていったもの。「どうします?」と言われて「あ。置いておいてください」とお願いしたけど、あちらにすれば、大きいので処分するのが面倒だったんでしょうね。
いつのころか扉がひとつ割れたかなんかしたのですが、そのまんま、25年ほど使っています。
電子レンジやコーヒーメーカーを置いている棚もずっと前に扉が壊れて、そこに布を貼っていました。この棚は、本来テーブルと一体化していてキッチンカウンターになるというもの。結婚して数年後に新しい賃貸マンションに引っ越すときに買いました。
これも、そのまんま、ずっと使っています。
いやあ、われながらすごい!全部、台所!そして右を見ても、左を見ても、前を見ても、どこかの扉がない!
そういうことならいっそ、とサイド棚の目隠しに使っていた布をはずしてみました。布に隠れてたまったホコリを拭きながら、「ああ。この家具ともう30年ぐらいいっしょにいるんだな」としみじみしたんですよ。
とりたてて好きじゃないまま。とりたてて大事にすることも手入れすることもなく。むしろ放置したまんま、無造作に、テキトーに、あれこれ、中に詰め込んできた。
まるで、わたしの人生みたい。わたしの人生を引き受けてきた、この体みたい!そんなことを思ったりして…。
「拭く」という行為は、「至近距離で向き合う」行為ですね。「拭く」を繰り返すと、「慈しみ」につながる気がする。
というより「拭く」ことが「慈しむ」ことなのかな。人間の体もそうだもんね。拭いたり、ぬぐったり、磨いたり、そういうことが、つまりは「手入れ」であり、「慈しむ」ことだもん。
見るからに「扉が壊れた棚」だけど、「オープン棚」ということにして使い続けてしまう気がします。拭いてると、きれいになるかも。中途半端に壊れたものなりに。あ。扉が壊れただけじゃなくて引き出しも一つ、壊れてた。ボロボロやん!(笑)キッチンとの色が合ってないのも、引っ越し当時は、いつか買おうと思っていたんでしょうねえ。でも買わないまま来てしまった。今となっては味ということにしたい。ほんとわたしの人生やわたし自身に似てる!

これは反対側。部屋そのもののドアは壊れてません。黄色の壁を可愛いと言ってほしい。

このままいくとわたしは、中途半端に壊れた扉のない家具とこれからの人生を、もしかしたら最後までともにしてしまうかもしれません。それはそれでいい気もします。ちゃんと拭いてあげるからね。仲良くやっていこう。うちは、犬も可愛い可愛い雑種なんだよ。「雑」が心地いい家にしよう。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってます。