大事な仕事の前の日に『That’s Dance!』は聴かない。
僕と同年代、つまり、いま還暦前後の関西人にとって、新野新(しんの・しん)という放送作家はとても馴染み深いと思う。1978年にラジオ大阪で始まった『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』のパーソナリティとして、知られていた。当時、すでに笑福亭鶴瓶は売れっ子で、特にラジオの深夜放送では飛ぶ鳥落とす勢い。テレビで活躍し始めていた。
当時、中学生だった僕らにとって、鶴瓶はアホな兄気分的な存在。そんな鶴瓶がベテラン放送作家だった新野新と共にパーソナリティを務めた番組だった。
当時、日曜日の深夜と言えば、ほとんどのラジオ局が放送を休止していたと思う。オールナイトニッポンやヤングタウンなどの人気番組も、日曜の深夜にはやっていない。だからだろうか、『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』という何やら怪しげなタイトルの番組は、最初の頃はスポンサーが付かず、CMがほとんどない番組だったと記憶している。
途中で、お好み焼き屋の千房の社長が鶴瓶と仲が良かったということで、千房の一社提供の時代が長く続いた。
オッサン的な性格の人を「おじん」と呼び、男でもお喋り好きなおばちゃん的な人を「おばん」と呼ぶなど、様々な話題と議論を巻き起こす番組だった。大竹しのぶのおにぎりは食べられるが、青江三奈のおにぎりは食べられないなど、境界線の曖昧な話題をああでもないこうでもないと、二人の「おばん」がわーわー言うのを聞いて、中学生の僕は興奮していた。
当時、深夜12時から始まって、3時頃まで放送しているのだが、この番組に限って寝落ちしないので困った。いつまでも聞いていられるし、聞けば聞くほど「そうそう」「ちゃうちゃう」と話題に参加している気分になるのだった。
それだけ、日常の曖昧な境界線を語るこの番組はとても新鮮で面白かった。
そんな新野新先生が亡くなった。90才を過ぎた大往生。それでも、寂しい。なんだか、本当に親戚のおっちゃんが亡くなったくらいに寂しい。と、新野新先生のことを考えていて、ふと『That’s Dance!』のことを思い出した。そう言えば、僕は『That’s Dance!』で寝落ちしないのだ。
ほかのラジオ番組のポッドキャストを聞いているときは、見事に寝落ちする。けれど、『That’s Dance!』で寝落ちしないのは、たぶん、『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』を聞いていた時に感じたパーソナリティの近さがあるからだろう。芸能人の話題を聞いているのと違い、パーソナリティの人々の存在が近いのだ。近すぎて、そこから発せられた言葉に、何か言いたくて仕方がなくなるのかもしれない。
新野先生が「ボクは高峰秀子のおにぎり食べたいわ」と言う。鶴瓶ちゃんが「いややわ。ボクは食べたないわ」と言う。すると、それをラジオ越しに聞いた僕たちは「鶴瓶ちゃん、わかってないわ。高峰秀子のおにぎりは食べれるやん」と叫んだりしたものだ。
つまり、僕も『ぬかるみの世界』でいうところの「オバン」なのだろう。『That’s Dance!』で話しているあれやこれやに、「ちゃうちゃう!」とか「そやそや」とかツッコミ入れたくて仕方がないのである。
そうか、だからか。僕が『That’s Dance!』を大事な仕事がある前夜に聞かないのは(笑)。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。