母の死とわたしの身近な二人の男性
先日、母が九十歳で亡くなりました。
「お母さん、よくがんばったね。お疲れさま。」
そう言って送り出せたのは、悲しみよりも、ほっとした気持ちのほうが大きかったからです。
昨年末に体調を崩し入院、今年1月から有料老人ホームに入所していました。最後まで頭はしっかりしていました。しかし体が動かないのに金額の高い施設に入所したことに罪悪感やどうにもできない思いが強く笑顔はほとんどありませんでした。

最近は面会に行く度に「もう生きていたくない」「早く逝きたい」とよく口にしていました。
ようやく苦しみから解放されたんだなと思うと、どこか安堵にも似た感情が湧いてきました。
ただ、現実はいつも財布の中身と相談しながら。
母の入っていた有料老人ホームは、名前の通り「有料」で、かなり「高額」でした。
弟は「なんとかする」と言っていたのですが、結果的には“なんとかなっていなかった”というオチ。
母が葬式代にと貯めていたお金を切り崩し、もまさに自転車操業の晩年でした。
「老後の安心」とは、口で言うほど簡単ではないなあと痛感しました。
母の死後、ゆっくり悲しむ暇もなく、 わたしは葬儀の準備に追われました。
施設の片付け、葬儀社との打ち合わせ、親戚への連絡。
そしてその合間に、いつものようにマメオ君の介護。
参列させるのは難しいしショートステイに預けようとしたけれど、どこも満員。
まるで人気アーティストのライブチケットのように「空きなし」。
介護の現実をたたきつけられた気持ちになりました。
仕方なく、デイサービスと在宅介護を続けながら、慌ただしく日々を回しました。
それでも、マメオ君はいつも通り。
デイサービスから帰るともちろん晩酌。悪びれた様子もなくマイペース。
母の不在で気が抜けそうになったわたしを、ある意味いつも通りのマメオ君がが“現実”に引き戻してくれました。
ありがたいような、ちょっと複雑なような。
告別式を終えてから、マメオ君の妹に連絡をしました。
「ご自愛くださいね」と言われました。
丁寧な言葉です。でも、わたしの心のどこかで、ちょっとだけ期待していたんです。
――「早く言ってくれれば、兄のこと見に行ったのに」と。
けれど、その言葉は最後まで出てこなかった。
つまり、旦那(マメオ)の面倒を見る気はこれっぽっちもない、ということを再確認。
まあ、そこはハッキリしていて、ある意味スッキリしました。
“ご自愛ください”の裏には、“あなたが全部やってね”の優しい(?)含みがあるのかもしれません。
マメオ君も弟も義妹も、みんなそれぞれの世界で生きている。
そして結局、「なんとかする人」はいつもわたし。
母の葬儀とマメオ君の介護を同時進行で乗り越えた自分に、今回はちゃんと「よくがんばった!」と声をかけたいと思いました。
泣く間もなく動き続けた数日間。
ふと鏡を見たら、髪は乱れ、顔は疲れ切っていましたが、それでもちゃんと前を向いていました。
誰もほめてくれないなら、自分でほめるしかない。
そうやって、またひとつ強くなっていくのでしょうね。
母が残してくれたものは、お金でも形でもなく、「生きる力」でした。
どんなにしんどくても、日常を続ける力。
最後まで「無理しないでね」と言ってくれた声が、今も心に残っています。
たぶん、母がいま見ていたら、「あんた、ようやるねえ」と笑っていると思います。
わたしも「そうでしょ?」と笑い返したい。

葬儀の日は雨でしたが途中で雲の間から、光が差しました。
「お母さん、ありがとう。わたし、がんばったよ」
そうつぶやいて、夕方にはいつものように夫の夕飯を作っていました。
人生は、止まってくれません。
それでも今日もまた、世話の焼ける二人の男性(弟と旦那)に囲まれながら、
小さく笑って生きていこうと思います。
有難いことに11月は趣味の予定がいっぱいです(笑)
あわただしく元気に過ごしていけそうです。