なりたいものはない。
子どもの頃、周囲の大人から聞かれて一番困ったのは「何になりたいの?」という質問だ。
やりたいことならいっぱいあった。野球もしたかったし、ボウリングもしたかったし、猛獣使いもやりたかった。
でも、野球選手になりたいとか、プロボウラーになりたいとか、猛獣使いになりたいと思ったことはなかった。
ひとつのことをずっとやっていれば飽きそうな気がしたし、それを職業にするという意味があまりわかっていなかった気がする。
それは、いい歳をした大人になってからも同じで、コピーをいっぱい書いてはいたけれど、自分のことをコピーライターだと思ったことはなかった。職種をはっきりさせないと名刺が作れないからと、コピーライターという名称を選んだだけ、という感じだった。
自信がないわけじゃなくて、なんとなく、コピーライターだとしっかり自覚している人たちは、もっと、腹を据えて仕事に取りくんでいるんだと思い込んでいた。
ずいぶん経ってから、まあそれも人それぞれで、ほとんどの人はそれほど自分の仕事に自信がなくても、都合上職種を名乗っていることを知ったのである。
でも、正直、いまでもコピーライターなのかといわれると自信がない。自信はないが、「コピーライターの」と前置きされて紹介されても、頬を赤らめることはなくなった。40代くらいまでは、人知れず本当に頬を赤くしていたのである。このあたりは、厚顔無恥というか、だんだん面の皮が厚くなってきたのだろう。
だけど、相変わらず、やりたいことばかり多くて、自分が何者だと問われたら、やりたいことばかりが多い愚か者だとしか言いようがない。
しかし、そんな愚か者にも、「君は正しい」と言ってくれる人がいて、遠くて手が届かないと思っていた神様が微笑んでくれることもある。
ということで、何が言いたいのかというと、実はとても嬉しいことがあり、本当に何年振りかで晴れやかな気持ちの日々を迎えて、人生諦めてはいけないのだ、ということをこんな歳になって、改めて知らされたのさ。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。

















































































