こどもの頃からお風呂が苦手だった。だから、中途半端な暗い映画は嫌いなのかもしれぬ。
温泉に行くのは好きだ。家族で出かけて、うろうろ散歩して、おいしいものを食べて、温泉に入って、ぐっすり眠る。こんなに楽しいことはない。
ただ、家のお風呂や銭湯の湯船に浸かるのが苦手だった。嫌いじゃないんです。どっちかというときれい好きだし、お風呂だって毎日入りたい。でも、ひとり湯船に浸かっていると、なんだかこの世の中にたった一人という気持ちになってしまう。
なぜなんでしょうね。銭湯で、周りに見知らぬオジさんたちがいても同じ。女風呂からのかしいましい声が響いていても同じ。なんなら、隣でよその子が暴れて、しぶきが飛んできていても、「ああ、この世にたった一人でいるようだぜ」と、まるでハードボイルド小説の主人公のような気持ちになってしまうのであります。
もう、これは僕の癖というか、人間性というか、どうしようもないサガのようなものなんでしょうかね。ときどき、ヨメにも「なんちゅう暗い顔をしてるんや。そやから、へんなんが寄ってくるんや」と怒られます。まあ、確かにそういうところはありますね。
だからかもしれないのですが、最近の中途半端な暗い映画が苦手です。ほら、取って付けたようなトラウマが原因で、暗い人生を送ってるとか、人を傷つけちゃうとか。なんか、最近、そういう映画とか、ドラマばっかりだもんね。
ああいうのを見てると、いいなあ、理由があって、と思っちゃう。だって、湯船に浸かってる時の寂しさというか孤独というか、あれって、何の理由もないんですぜ。誰かに何かされるでもなく、一人ぼっちになるんだぜ。
だから、映画やドラマ、小説の中の孤独や寂しさが本物かどうかだけが気になってくるんですよね。だから、ちゃんと「そう!こういうときだよ! こういうときに、どうしようもない気持ちになるんだよね」というディテールがないと許せなくなる。
これはやっぱり、産業としての映画には、間違いがあってはならぬ。最低限の興行収入を得るためには王道をいくしかない! ということで、『孤独の図式』とか『悲しみのメソッド』がしっかりとエビデンスとして存在しないといけなんでしょうね。偉いさんたちとコンセンサスをとるためにね。監督や脚本家の中にしかない記憶だけに頼ってちゃ、コケたときに目も当てられないことになっちゃうから。
でも、それじゃあ、「どっかで見たなあ」作品しかできなくなりますよね。「こんなの見たことない!」って驚きと感動を運ぶ作品には絶対にならない。まあ、安心するために映画を見るって人もいるだろうし、それはそれで否定はしないんです。
でもなあ。僕はやっぱり、「すごいぞ、こんなところに目を付けた映画なんて見たことなかったぞ」と驚きたいし、ワクワクしたい。そのために映画館に足を運んでるとも言える。
とか、考えてると、まあ、一人の風呂もちょっとばかり孤独ではなくなるんだけど、のぼせる可能性が高くなるね。
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植松事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。

















































































