50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用~下ネタ作法
下ネタ作法
映画の学校の後輩の映画を見た。SMをテーマにした、というか、女王様とドMな刑事が事件を解決していくという映画だった。そうか。SかMかにわけるんだなあ、と思う。
映画そのものは置いておいて、テーマとしてのSMはとても興味深い。最近は若い女子も酒を飲んでいる席で、いやいや、スタバでコーヒーを飲みながらでも、平気で「私、ドMなのよ」なんて話をする。こちらから聞かなくても、いや、聞きたくなくても「私ってドMじゃないですか」なんてことを突如話し始めたりする。いやいやいや、そんなこと知っても嬉しくないし、むしろ迷惑だし。
だいたい、とここで思う。SとかMとかいうのは、自ら宣言することなのだろうか。SとかMとか、イニシャルで言ってはいるが、それは明らかに「サディズム」と「マゾヒズム」であって、僕が学生時代に使っていた角川の国語辞典にはどちらの語句にも『変態性欲の一つ』という説明がなされていたではないか。変態性欲だぞ。性欲だけでもバクバクするのに、変態が上乗せされている。
「私ってドMじゃないですか」という発言は、「私って、いじめられて喜ぶという、変態性欲者なんですよ!」と発言しているのだということを理解しているのだろうか。
もちろん、「違いますよ。意味は分かってますけど、もう少しライトな感覚で使っているんです。私って、ちょっと責められて喜ぶようなところがあって、くらいの」なんて気持ちなんだろう。
そんなことは知らん。Mったら、マゾヒズムなのさ。変態性欲のひとつなのさ。それをキラキラと陽ざしの射し込むスタバの窓際の席で声高に話されると、こちとら、ええっ!と驚いて、この子ったら夜はどんな表情をなさるのだろう。なんて考えてしまうのさ。
というのは、大げさだが、まったく嘘ではない。ちょっとは考えてしまう。とってもきれいな女子がそんなことを言っていた日には、かなり深く考えてしまう。
あ、僕は何を告白しているのだろうか……。自らのアホさ加減をさらしているだけのような気もしてきた。ま、それはいい。書くことは恥をかくことだと、どこかの文豪が百年も前に書いていた。
何が書きたかったのだろう、僕は。あ、そうだ。昭和に生まれ育った世代としては、セックス非公開の原則とでも言うべき掟がある。人前でそういう下世話なことを話すものではない。品がない。そこは男も女も同じだと思う。特に男同士で特定の女性との夜の営みについて居酒屋などで声高に話す若いサラリーマンや学生なんて大嫌いだ。馬鹿じゃないかと思う。というか、馬鹿だと断言してもいい。
せめて、下ネタを話すなら、直接的な表現をさけて、軽やかに笑える話にしてくれ。そして、おとしめるなら相手ではなくて自分をおとしめて話してくれ。男とか女とか関係なく、それが人としての最低限の礼儀ってもんだろう。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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