第51回 (真性・仮性・憎みきれない)ろくでなし小説はこれだ!?の巻
最近見たのですが、1955年の成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』は、日本映画屈指の名作とされているらしいですね。
確かに、高峰秀子と森雅之の腹を括った熱演には圧倒されましたが、このふたり、極めつけのだめんずとダメ男ですよね。
実際には言いませんよ、言いませんけど、何度も画面に向かって「あんたたち!もういいかげんにしろっ!」と説教しそうになりました。
特に、森雅之扮する富岡のどうしようもなさはかなりハイレベル。
パッと見は女にだらしないタイプには見えず、仕事的には有能で、辛辣で毒舌家。
でも、初対面の相手(女性に限るのかも)を鋭い舌鋒で不快にさせたかと思うと、その後に視線と甘言でなびかせるアメとムチ方式(?)の手口は、手口というより性(さが)っぽい。
その場限りの言葉で相手に期待させ、寄りかかられたり面倒を背負い込まされそうになると「こんな自分と一緒にいると君まで不幸になる」とするりと(というか露骨に)身も心も躱し、相手が意を決して離れると、寂しくなって「僕は孤独だ」と訪ねて行ったりする。
ベタ過ぎるぞ、このダメ男!
林芙美子の原作は読んでませんが、映画の蟻地獄感は相当なものでした。
迷走の挙句にこっちまで放り出されるようなエンディングにはしばし呆然。
一周まわって、おもしろしんどかったというか、しんどおもしろかったです。
でも、この映画が、この小説が、多くの人に支持され残ってきたという事実に、このダメ男をただのろくでなしではなく、憎みきれないろくでなしとする支持母体があるような気がします。
母体、と書きましたが、ここはひとつジェンダーフリーで。
ちなみに私は、この支持母体には加盟しないと思います。
考えてみると、森鴎外の『舞姫』の太田にしろ、田山花袋の『蒲団』の時雄にしろ・・もっとざっくり言うと、太宰治や川端康成の小説の登場人物の多く・・要するに著名な「文豪」の書いた文芸作品はダメ男の宝庫です。
その密度、含有率の高さったらないと思います。
文芸作品、文学にとって、ダメ男は必須アイテムなのかも。
白黒つけられない人の気持ちを慮ったり、身勝手にも見える孤独感やせつなさや、二律背反だったりする行動と心理を斟酌して、ろくでなしから「憎みきれなさ」を抽出することは可能・・というか、その抽出作業にこそ、哲学や文学の肝があるのかもしれません。
そもそも、ろくでなしと、憎みきれないろくでなしに明確な定義の違いなど存在しないわけで、世間ではなく個々が、こいつは憎みきれない、いや憎んであまりある、と各々の身の丈に合わせたオートクチュール基準で査定する。
もちろん、基準は状況や時間で変わります。
服のサイズや好みが変わるように。
でも、未来永劫不変な基準などないから、人間は興味深いし、文学は、映画は、面白いのだろうなあと思ったりします。
そんなわけで今回は、まさに私のオートクチュール基準で、ろくでなし業界を3つに分類して、それぞれにしっくりする小説を当てはめてみることにしました。
理由も深い洞察もありません。
なんか面白そうだからやってみました。
【ろくでなし分類】
①「周囲を不幸にする」が真性ろくでなし
②「周囲を不快にする」が仮性ろくでなし
③「周囲を呆れさせる」と、「沢田研二の21枚目のシングル」が憎みきれないろくでなし
で、どうでしょう。
この分類でいくと、『浮雲』の富岡は①なんですが、高峰秀子扮するゆき子が自分を不幸だと思っていなければこの基準は崩壊します。
ま、そんなことを言い出すとキリがありませんから、得手勝手基準でどんどん進めると
①で浮かぶのはなんといっても梁石日の『血と骨』の金俊平。
この小説を読んだのはもうかなり前ですが、金俊平の凶暴さ、身勝手さ、女性に対する傲慢さ、などなど、もう全てがとんでもないです。
近親者に持ったこと、関わったこと、がもう不幸以外のなにものでもない、負のスパイラルのはじまり、みたいな。
とにかく濃いのです。
映画化された際、ビートたけしが金俊平をやったんですよねえ。
見てないですけど。
『蒲団』の時雄や『舞姫』の太田は②かなあ。
細部は忘れましたが、読んでいて舌打ちしたくなったことは覚えています。
それと、私は夏目漱石の小説はとても好きなのですが、登場人物はけっこう②が多いなあと思っています。
高等遊民だか放蕩ムーミンだか知らんけど、理屈ばっかりぐだぐだ言っとらんで身体動かして働かんかい!みたいな。
・・あ、スミマセン。
根っからの労働者階級なもので。
③はけっこういろいろ浮かびます。
町田康とか平安寿子の小説は③の宝庫な気がしますし、つかこうへいの『蒲田行進曲』の銀ちゃんもヤスも、私には③。
でも、③の日本代表は中島京子の『均ちゃんの失踪』の均ちゃんで、海外代表(?)はR.D.ウイングフィールドの「フロストシリーズ」のジャック・フロスト警部ですね。
・・とここまで書いてきたら、だめんず部門についても言及したくなってしまったけれど、それはまた別の機会に。
でも1個だけ。
だめんずは③の受け皿がデカいってことかも!?
by月亭つまみ
※言い訳にならない言い訳
今回の文章、アップしてからnaoさんにご指摘いただいて気づいたのですが、私、ダメ男についついハマってしまう女=だめんず だと、なんの疑いもなく思っていました。
これを読んで「なんかおかしいこと言ってるなあ」と思われた方が多くいらっしゃったかと思います。
モヤモヤさせてしまって、申し訳ありません。
修正しようかと思いましたが、一度アップしてしまいましたし、この文章を加えるにとどめ、恥は残しておくことにしました(^_^;)
これに懲りず、今後共よろしくお願いします。
私は懲りろ!
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」<
nao
だめんずとダメ男って違うのですか??
ダメな男には、ハマるものなんだと思います。
毒があって刺激的で、カラダに悪いと思ってもやめられない、みたいなw
現実にハマりやすかった私にとって
本の中の世界くらいは、安定のヒーローの方がいいなぁ。
つまみ Post author
naoさん、こんばんはー。
コメントありがとうございます。
ひゃあー(>_<) 私、ずっと「ついついダメな男に惚れてしまう女」をだめんずというのかと思っていました。 そこになんの疑いもありませんでした。 でも、今調べたら、違うみたいですねー。 どうしましょ(^_^;) いやはやもう、申し訳ございません! それはさておき そうですか、naoさんは、そうですか。 実は私の場合、父親が典型的なダメ男でした。 母親は被害者意識の強い人で、幼少時代の環境がどーのこーの、というのも微妙なのですが、やっぱり影響はあるかもしれないなあと思ったりします。 しかしなあ、そうかあ、だめんずってそうだったのかあ。 あららら。
nao
うふふ、
うぉーかーまでつくと、だめんずを渡り歩く女の人ってことなんでしょうけどね。
流行りましたよね♪
つまみ Post author
naoさん、おはようございます。
いやはや、メンボクござらん。
うぉーかーというのも、昨夜知りました(^_^;)
たこ焼き
初めまして♪
いつも楽しんでいます。
「だめんずメーカー」という言葉もあるようですよ。
女性ががんばりすぎて、男性をだめんずにしてしまう。
という意味らしいです。
私は母性が薄い?ので「だめんずメーカー」ではありません(^^♪
みーる
わたしもーーー!だめんず=ダメ男に引っかかる女性
だと思っとりました。
ていうか、率先して「I am だめんず」って言ってましたよね。
つまみさんの誤解は私のその発言にも原因があるのかもしれません。
もうしわけーー!
だめんずに引っかかる女性は③の皿が巨大だってことには同感です。
つまみ Post author
たこ焼きさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
ああ、たこ焼き食べたい(^O^)
だめんずメーカ、もちろん初耳ですが、妙になるほどーと思いました。
ある種の親子関係みたいですねえ。
それはなんだか、双方にしんどいですね。
私も違うと思うのですが、どうなのかなあ(^_^;)
つまみ Post author
みーるさん!!
やっぱり!?
あははははっo(^▽^)o
私だけの勘違いじゃなかったんだー。
あの職場では、ふつうにそういう風に使用されていたよねえ。
いやもう、ホント、笑うしかない。
っていうか、可笑しい!
だめんずと親和性の高い女子は「まあいいか」と「しょうがない」を口にする率が高いような気もします。
私の口癖じゃん!
サヴァラン
文学と「憎みきれないろくでなし」の親和性。
ものすごく、ものすごく 納得です!
cometさんが「日野正平」話題のときにメーリングで書いてくださった
「憎み切れないろくでなしは声がいい」説も膝をバンバン叩いて納得。
文芸や娯楽の究極の意味合いは、
この世のままならなさへの「救い」とか「鎮魂」なのかも!
と思うことがあります。
つまみ Post author
サヴァランさん、こんにちは!
火曜日の記事にリンクしていたりもする「サヴァランtweet」を楽しませていただいているおかげで、最近、サヴァランさんが以前より近く感じられます(^O^)
「憎みきれないろくでなしは声がいい」
私も激しく同感です。
いわゆる「美声」ではなく、どこか「自分にだけ話してくれている」系のピンポイントで響く声だと思うのですが、いかがでしょうか。
火野正平などはまさにそのド真ん中!のような気がします。
それが高じて私は、そういう声の主だと、人となりを知る以前に「かなりのろくでなしに決まってる」と一方的に査定してしまうところがあります。
ここだけの話ですが、私、宮沢和史や福山雅治は相当なろくでなしだと思っています。
女性に「なんで?」とか、「別にどっちでもいいよ」とか、「けっこう好きだよ、そういうの」とか言うのがやたら似合う声だと思う、というのがその理由です。
あれ?私の妄想開示になってる?
憎みきれないろくでなしは勧善懲悪じゃない現実の緩衝材みたいだなと思ったことはありましたが、鎮魂、までは思いがいたりませんでした。
なるほど。