日本で、ジャップと呼ばれてしまう日本人。
大阪へ向かう新幹線に乗ろうと、僕は中央線に乗っていたのだった。
普段なら朝8時台の中央線になんて絶対に乗らない。ましてやスーツケースを持っている。その日も、僕は荻窪から東京メトロ東西線に直結している電車で大手町駅を向かうつもりだった。ところが寝過ごしたのだ。起きた時間が出発しようと思っていた時間だったのである。
僕は新幹線のチケットをエクスプレスカードのクレジット決算で購入している。このシステムのいいところは、ギリギリまでチケットの変更が可能なところだ。手数料もかからずに変更ができるので、こんな場合、乗れないと確定した段階で次の便に変更すればいい。
ただ、慌てて家を飛び出したおかげで、それほど遅れずに荻窪の駅に着いてしまったのだ。これはもしかしたら、間に合うかもしれない。ギリギリだけれど、いつもは混んでいるからと乗らない中央線に乗って、大手町から歩かなければ、東京駅に真っ直ぐ向かえば、間に合うかも知れない。
だいたい、そういうことを考えた時には何か起こるのである。
そして、その日も事件は起こったのである。
目の前でドアが閉まりかけている中央線の8号車に僕は飛び乗った。それほどギュウギュウ詰めにはなっていない。これ幸いと、スーツケースを持ってた僕は入り口付近をあけるために、乗車して少しだけ座席のほうに体を入り込ませて、つり革を握った。
次の駅でそこそこの人が乗ってきて、ギュウギュウの一歩手前にまで混み出した。ふと右隣の見ると、背の高い白人男性がiPadで映画だかドラマだかを見ながら立っている。もちろん、耳にはヘッドフォン。
やがて新宿駅で人がドカドカ降りて、ドカドカ乗ってきた。車内はついにギュウギュウになった。僕は車両の奥へと押された。押されると、必然的に白人さんを押してしまうことになる。気持ちよく動画を見ていた白人男性は、ちらちらと僕を見て、やがて舌打ちまで始める。
いやいや、そんなにらまれても、僕だって押したくて押してるわけじゃないよ。と思うのだが、言い訳をしても仕方がない。なるべく白人さんを押さないように気をつけたつもりだったが、電車がガタンと揺れた瞬間に、僕は大きく揺れて、白人さんをギュウーっと押してしまう。
すると、その白人男性は、高い位置から僕を見下ろしして、でっかい声で「ドント、プッシュ、マイ、ボディ〜〜!!!」といかにも英語がわからない日本人に向かって使う英語で叫んだのだ。さすがに僕も、「押してるわけじゃないぞ。電車がゆれているのだから、仕方ないよ!」と言い返す。もちろん、日本語で。すると、その白人男性は僕の体をあからさまに自分の尻で押しのけるように突き出して、その後、ニヤリと笑いながら、小さな声で「ジャップ」とつぶやいたのだった。
なんだろう、この状況は。日本人が日本の満員電車で、日本人として最大限努力して外人さんを押さないようにしているのにも関わらず、押してしまった結果、JRの車内で、「ジャップ」と言われているこの状況は何なんだろう。
なんだか僕はくずおれそうになりながらも、いやここは怯んではいかん!と思わず「仕方がないだろう!このハゲ!」と、身体的な特徴を叫ぶという荒手に出てしまったのだった。世の中のハゲのみなさん。本当に申し訳ない。しかし僕は心から動揺していたのだ。ハゲにハゲと叫ぶほかないほど、道を閉ざされた気分だったのだ。許してください。
僕もそう言ってしまった後、「いかん、この馬鹿でかい白人男性に殴られるかもしれん」と思ったのだった。殴られるのなら、殴られて体に障害でも残ってしまったときに、こやつを逮捕するためにも、なにか証拠を残さねばと僕は、とっさに持っていたiPhoneで、こやつを撮影してやれ!と思った。
正直、プライバシーとか、周囲の人も映ってしまうとか、そんなことはなにも考えなかった。本当にとっさに、iPhoneをそいつに向けたのだった。
すると、その白人男性は微妙に撮影されない位置に体をずらしたのだ。「どういうことだ」と僕は思った。こいつが、自分のやったことを正当に思っているなら、逆に「なにを撮っているんだ!」と抗議するよな、と僕は思ったのだった。しかし、こいつはフードまで被って、撮られることを執拗に避けている。そして、満員電車の中をほかの乗客に「なにやってんだ!」と文句を言われながら、ものすごい勢いで僕から距離をとって別の出入り口のほうまで逃げていったのだ。
白人男性は四谷の駅で最後まで降りないふりをして、ドアが閉まる瞬間に飛び降りた。もしかしたら、この近くの大学で教えている講師か教授だったのではないだろうかと僕は考えた。であれば、あれほど最初に絡んできておいて、写真を撮られることにあれだけ抵抗した理由がわかるような気がする。そうかもしれない。どちらにしても写真は撮るふりしかできなかったのだけれど。
どちらにしても、相手は電車を降りた。これで一件落着、と思っていたら、降りた白人男性は小走りで、僕が立っていたドアの外側にやってきた。そして、わざわざ僕の立っていたドア付近のガラスを外から叩いてから、中指を突き立てたのである。
その時のえげつのない笑い顔といったら。本当におぞましい。しかし、僕も男である。ジャップと呼ばれ、中指を突き立てられて、黙っているわけにはいかない。いま、僕にできる唯一の抵抗はなにか。そう、僕も中指を突き立ててやることくらいだ。
僕はそう思い、とっさに右手を前に差し出し、突き立ててやったのだ!
中指を!と思っていたら、中指ではなく、親指だった。
普段から、上品に生まれ育ち、人に向かって中指など突き立てたことのない僕は、こんな時に、親指を突き立てたのだった。そう、まるで悪魔のような白人男性に「グッジョブ!」と賞賛しているかのように。
やがて中央線は東京駅にすべりこみ、僕はもともと予約してあった新幹線に乗り込むことができた。朝一番の一人騒乱罪のような騒ぎがあったからだろうか。それからの二泊三日の大阪出張中、いいことばかりが続いた。しかし、正直いまの僕は、いいことは起こらなくてもいいから、穏やかに傷つくことなく暮らしたいのである。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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izumi
お、親指立てちゃったんですねー(*≧▽≦)/
ごめんなさい、悔しい気持ち、情けない気持ち、
なんなんだよクソ!って気持ちが渾然となった
その状況が分かるだけに
笑っちゃいけないしむしろ腹が立つのですが
でも、思わず笑ってしまいました…。
だけどその後の出張ではグッジョブだらけだったようで
それもこれも、非礼を非礼で返さなかった
親指のお陰かもしれませんね。
自分にグッジョブ!
とはいえ穏やかに暮らしたい、分かります。
アメちゃん
こんにちわ。
下品な侮辱に対して、おなじ下品な土俵に立たず
ここは余裕かまして
親指で「グッジョブ!」だろーーと
読みながら思ってたら
ホントに「グッジョブ」してたので笑ってしまいました^^。
中指にたいして親指を立て返すという大人の対応(図らずも)に
その白人男性は「恐るべしジャップ、、。」と思ってるかも?
uematsu Post author
izumiさん
そうなんです。親指立てちゃったんですよねえ。
しかしまあ、東京っていう人の多いところにいると、
こっちで避けようとしても、
変な人に会ってしまうことが多くて、
時々、出かける前からため息が出てしまうことがあります(笑)。
uematsu Post author
アメちゃんさん
この話をした別の人からは、
「親指を立てたことで、お前の顔が鮮明に写っている写真が撮れたぜ!」
というサインだと思われたのでは?
と言われました。
うむ。そうだとしたら多少溜飲は下がるのですが、
たぶん、そうは思われていないと思います(笑)。
okosama
uematsuさん、またなんか引き寄せはったんですね。申し訳ないですけど 笑ってしまう。
日本には中指を立てる文化は無いですもんねぇ。あ、親指もあちらの文化かしらん。
マレ
この白人腹立つー!よし!中指立ててファキン……グッジョブ?
もうお腹いたいw
uematsu Post author
okosamaさん
いや、ホントに僕は何にもしてないんですよ。
「どうせ、その白人さんをにらみつけたりしてたんでしょ」
なんて言われたりもしたんですが、
逆に、押してしまったときに「すみません」
なんて謝ったりしてたんですよ(泣)。
まあ、今となっては親指立てて良かったなあと思います(笑)。
uematsu Post author
マレさん
もう、みんなグッジョブ!ってことで丸く収まった!?
う〜ん、おさまったような収まってないような。
でも、ヘッドフォンしてゲームしたり、動画見ている人のほうが、
自分の世界に入り込んでいるので、
ちょっとした外からの刺激に敏感に反応する人が多い気がします。
もう、iPad、iPhoneで動画見ている人には近づきません!