「やるべきことリスト」の項目。自分で書き込む時期が来たようです。
今日から、由美子さんの「ハレの日・ケの日・キモノの日」がはじまりました。月1回の連載です。着物にあまり興味のない人も、由美子さんのきどらない文章や写真を楽しんでもらえたらいいなあと思います。よろしくお願いします。
先週の木曜日に家族で兵庫県の城崎温泉に行ってきました。宿はお年寄りばっかりだったけど、外は若者が多かったです。
海鮮丼の食堂で、小物屋さんで、ソフトクリーム専門店で、いろんな若い女性グループを見ました。いやあ、やっぱり若いって大変ですね。やることがいっぱいあるもん。遊んでいるように見えても、いろいろやっていますよ。心は休まっていません。底の底のところでは遊んでいないんです。自撮り棒でポーズをつけて撮影しながら、同じ浴衣でそぞろ歩きながら、笑いあいながら、どこかで「外からの視線」を意識しているし、「可愛い」からはみ出さないようにしているし。
そうだった。そうだった。若いときって、そうだった。
遊んでいても、寝ていても、ずる休みしていても、遅刻していても、心は休まっていなかったのだった。先の人生が長いもんだから、あれもこれもやるべきことがある気がしていたのだった。人によって「やるべきことリスト」の項目は違うだろうけど、恋愛、結婚、就職、昇進、留学、出産、子育て…などなどが、それぞれの優先順位で並んでいるのだ。それぞれの人のリストに。そして仲間とビミョーに競争しているんだ。
旅館の大浴場には、70歳を超えた女性たちがわんさかいました。18歳の娘は「いつごろから、あんなふうに大きな声でまわりを気にせず話すようになるのかなあ。めちゃめちゃ楽しそうやなあ」と言っていました。わたしは、自分もおばさんなので、「大きな声」の理由が何となくわかります。いろんなものがまじりあって無邪気に見える表れ方をしているのです。そのすぐ隣に「沈黙」と「ため息」があるのです。
そういえば、わたしの「やるべきことリスト」も「終了」もしくは「ほぼ終了」「機会喪失」「あきらめ」「関心消失」などによって、一つひとつ消えていき、もうあまりたくさん並んでいません。「自分で書き込む」ことをしなければ、もう、そうは増えないんだろうなあと思います。
「自分で書き込む」ことを自由と呼ぶならば、人は年とともに自由になるといえそうです。自由を謳歌しなきゃ、と謳歌度で競いはじめると「無邪気」方面に拍車がかかりそうなので、その隣にある「沈黙」や「ため息」にも表現の機会を与えて、わたしなりの「自由」を模索したいと思いました。
城の崎にて。
takeume
今、一番初めに書くのが「断捨離」!
けど、一番できないものなんだなー(タメ息
nao
やれそうなことが減り、時間的にも体力的にもやることを絞るようになってからの方が
気持ちが楽になりました。
手を抜くところは思い切り抜いて、本当にしたいことに集中できる今が多分幸せなのだと思います。
とは言ってもまだまだ未熟なのですけどね。