憎しみの連鎖が止まらない。
と、言っても、国と国の、または宗教と宗教の大きな仲違いの話ではない。もっと小さな、仕事上での行き違いの話だ。
一年と少し前、仕事を一緒に進めていた相手といろいろあってプロジェクトが頓挫してしまった。双方に言い分があり、双方にわだかまりがあり、双方に遺恨が残った。
こういう問題は、角度を変えてみれば、どちらが悪いとかそういうことではない、と自分に言い聞かせてはいる。しかし、すぐそばにいる仲間の懸命さを知っていれば、そう簡単に納得できるものではなく、結局、一年経ったいまでも、ときおり夢の中で苦々しい思いを新たにしたりする。
何よりも、こちらのせいで心療内科の世話になるまで気に病んでいたのだ、という嘘八百がまかり通っていることに、とても悪質で邪悪なものを感じてしまい、関わったことそのものを後悔してしまうのだった。
それでも、相手の総大将からはなんの説明もないまま、丸一年経った今年の春頃にはいったん気持ちは落ち着いていたのだが、ここへ来て、相手の身勝手な動きを再び知る機会が増えてきたのである。すると、自分でも驚くほどに憎しみに近い気持ちが沸々とわき上がってくる。
なるべく、関連したものを見ないように、見たとしても気付かないように暮らしてはいる。が、相手も同業であり、共通の知人や友人もいるので、まったく平穏に過ごせるかと言えばそうでもない。
一年という長いような短いような期間ではあるが、まるで、そんな期間などなかったかのように憎しみの気持ちが再燃するのであれば、僕の心の平穏はいつ訪れるのだろうかと、何名かの恩師に聞いてみた。すると、まず最初に50歳を越えて、そこまで人に腹立たしい思いをするのが初めてだということが信じられない、と言われるのである。
もちろん、これまでにも腹立たしい目にあったことはある。しかし、ここまで、心底こけにされたことがないのは確かだ。これまでは、仕事でうまく行かなくても、最後の最後、きちんとした和解があった。わかりあえていなくても、形式的には互いに頭を下げあった。今回、相手の責任者は黙りを決め込んだままなのである。
そう考えると僕は幸せなのかもしれない。しかし、その分、今回の件がこたえているのだろう。そこで恩師に聞いてみる。「こういう腹立ちは時間とともに消えますよね」と。すると恩師は言う「消えるかいな。腹立つ奴は、ずっと腹立つ。夜中に思いだして寝られへんなるくらいや」と。「そしたら、どうしたらいいんですか」と聞くと「熱なったらこっちがもたへん。そやから、静かに一生恨んどいたったらええねん」と笑う。
そうやっているうちに、憎しみを飼い殺しにできるかもしれない。いや、そうは言っているけれど、知らぬ間に憎しみは消えるかもしれない。そして、なにかの弾みに、すべてが無に帰するかもしれない。
僕たちはどうしようもない日々を暮らしながら、そこに小さな喜びや希望や可能性を見つけようとする。だからこそ、人に会い、話をして、笑い、悩み、泣き、励まし、時に、仲違いする。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
匿名
詳しい内容は書けませんが、私も一年ほど前に強烈に感じた悔しさ、家族を苦しめた人たちに対する憎しみが消えません。
ここに書いてしまえばまたその時の思いが蘇ってくるだけなのはわかっていますが、一年経ったくらいで忘れられるものでしょうか・・・・・
その土地から遠く離れたはずなのに、その思いはついてきます。
憎しみなんて言う苦しい感情を持ち続けたい人なんていません、でもその季節がまた来てその時と同じような景色を見れば、思い出して悔し涙が流れるのです。眠れなくもなります。苦しいですよね。
救いはやはり家族の笑顔でしょうか・・・・・
この出来事は一生忘れないと思いますが、来年の春はもう悔し涙は流さないと思います。
nao
4年ほど前に、はらわたが煮えくり返るというようなことがありまして
相手もやはり同業者なので会うことがあるのですが
いや実は今日も会ってしまったのですが、わだかまりは消えません。
体調の悪い時に思い出すと当時と変わらぬ勢いで怒りがよみがえります。
ただ、今日はまだちょっとましだったのか、お互い目を合わせずに
「お疲れ様でしたー」などとと挨拶するくらいの芸当はできました。
今まで私もあまり怒りを持ち続けるということがなかったので苦しいです。
本当は、あの時もっと腹を割って話し合っていればもしかしたらこんなことにはなっていまかったかも、とか
自分の至らなさまでよみがえり、すっきりしないことこの上ないです。
そうか、ずっと持ってなきゃいけないのかな。
でも私だけではない、ということに少しホッとしました。
アンジェラ
私は割と忘れられる方なのですが、心の奥に残ってしまう事もあります。
でも友人でも家族でもなく、仕事関係の相手ならまだよかったんじゃないでしょうか。
以前、私が病気をした時に親戚の結婚式があって、私は出席できなかったのですが、後日その事で義母の何気ない言葉に夫が激怒した事があって。
私は病床で二人の電話での会話を聞きながら、辛くて泣いてました。
後で仲直りしていましたが、夫の真意は義母にはあまり伝わってないかな。でも二人は実の親子ですからね。
私はずっと心の中にそれがありますけど、夫の母なんだという事だけで義母を許しているのかな。
いや、許したふりをしているのかな。
いつもは思わない事、ちょっと思い出してしまいました。
あずみ
植松さんの恩師のお言葉、しみました。
私は、いろいろ嫌なことがあっても、一晩寝れば忘れていたんですよ。
ところがです。ある日、ひょんなことからすべてフラッシュバックしてしまいました。
忘れていたと思っていたことは、蓋して隠してただけのようです。
嫌な思いでを忘れるなんて、ないのかもしれないですね。
詳しい原因は忘れても、「いやだ」「きらい」「なんか嫌なことされた」と
そういうことだけはしっかり覚えていたりして。
だから、やっぱり、恩師のお言葉、さすがだと思います。
私も静かに恨んどきます。
ミカス
はじめまして。
確かに、憎しみは飼い殺しにすることができるかもしれません。
でも、飼い殺しですから、ある時ふいにむくりと起き上がってくることがある。
私は、その「むくり」に苦しめられることが多くて、
忘れていたはずの憎しみにもがく自分が悪いのか、
末代まで残るような憎しみを私に与えたあいつが悪いのか、と悩んでしまうのです。
twitterでこんな言葉を見つけました。
「むくり」が現れた時にはこの言葉を読んで落ち着くようにしています。
『昔婆ちゃんに教えてもらった知恵のひとつの
「こいつ我慢ならんコイツ殴ってやろうかなっていう奴がいたらまず完全犯罪で殺すことを考えな。
埋める場所、燃やす場所、道具まで考えてみ。
途中でめんどくさくなったらそれでいいし、考えまとまったら何時でも殺せる安心感で気が楽になるで」
が最強だった』
https://twitter.com/yoshiyaan/status/634004507576262656
何時でも殺せるなら、今苦しむ必要はない・・・ですね(ニヤリ)
uematsu Post author
匿名希望さん
本当に、時間がいろいろ解決してくれるといいですね。
僕の場合、どうしても仕事をしていると、
相手の動向や行動をしることになり、
日々、腹立ちが新たになるというどうしようもない感じなのですが、
なんとか、やり過ごせるようにしたいなあ、と。
ああ、強くなりたい。
uematsu Post author
naoさん
僕は相手が逃げたまま、暗躍しているという感じが本当に腹立たしい。
「話を預からせてください」と言ったまま、放置という感じです。
なんか、最後の最後の、ちゃんと話ができていれば、まだしも、
逃げられるというのは、本当に気持ちが悪いですね。
でも、みんなそんな思いを抱えているんだ、と思うと、
それが人生だと思い始めた今日この頃です。
uematsu Post author
あずみさん
ほんと。フラッシュバックしますよね。
その度にどきりとしますが、
それでも、「嫌だ」という思いが消えないことに驚きます。
uematsu Post author
アンジェラさん
親族は厳しいかもしれませんね。
でも、仕事仲間も、「この仕事をしなきゃ食っていけない」というところに限って、件の奴らが絡んでいたりして、腹立たしくなったりするんです。
uematsu Post author
ミカスさん
ありがとうございます。
いいですね、その方法。
完全犯罪を企ててみます(笑)。
って、さっき考え始めたんですが、
すでに邪魔くさくなっています。
いや、いい方法かもしれない(笑)。