飼い猫に手を噛まれる
夜中までひとりで起きていて、ふと隣を見るとティーちゃんが丸くなって寝ていた。
しばらくじっと見つめていても、身動き一つしないくらいによく寝ている。
ノラ出身の、あんなに警戒心の強かったティーちゃんが、ひとの近くで熟睡できるようになったんだなあ、えらいねえ、と急に猫愛がこみあげて(夜中だったし)、ティーちゃんの腰のあたりにぽん、と手を置いた瞬間、およそ聞いたこともない獣声とともに急転直下指を噛まれた。
真夜中の惨劇。
部屋と流血と青ざめる私!
ふっとんでった猫!!!
ティーちゃんはきっと、「殺られる!!!」と思ったに違いない。びっくりしたときのマンガ表現みたいに体全体水平に飛び上がって、もんどりうって噛んできた。
野生の本能だ。やはり野生の本能が眠っていたのだ。
熟睡していただけに、急な刺激に扉がバン!と開いたのだろう。
とりあえず何をおいても、部屋のすみっこでシャーとなってしまったティーちゃんに声をかけ、謝る。不用意に触った私が悪かった。
しばらくして、体を低くしながらも近寄って来たティーちゃんに、「あんた、ちゃんと身を守ってえらいねえ」と褒めた。流血しながらすることでもない気がするが、部屋に私しかいないので私が褒める。
おちついたところで傷を見る。
中指の表と裏に、猫の牙の上と下がささって穴があいた。
なるべく血を押し出すようにしてよく洗って、消毒をしておいた。傷の見た目は小さいが痛い。すでに指がパンッと張ってきているのがわかる。
翌朝、指は2倍にばんばんに腫れていた。まだ噛まれてから10時間くらいしか経っていないのに、猫の口菌ものすごい。
開院時間を待って、近くの整形外科で見てもらう。
いとうせいこうをはきはきさせて白髪をふやした感じの先生は、私が「飼い猫に噛…」くらいまで言ったところで、
「あーー、猫はダメです。猫の傷はダメです。」
と言って、私の指を見て、
「ほら、もう表面閉じちゃってるもん。猫の傷はほんっとにダメ。」と繰り返した。
ど、どうすりゃいいのか…。
「昨日噛まれてすぐにけっこうよく洗ったつもりなんだけれど、やっぱり腫れちゃったんですけど、そういうときの応急処置はどうしたら…」
と聞いたら、先生は、
「猫のかみ傷は絶対に膿む。」と力強く宣言した。「どうしようもないです。」と言った。
こういうことらしい。私のへたくそな絵で解説しますと、
刺さった牙が抜けたあと、表皮は治ろうとしてすぐに閉じてしまう。
でもその下に穴が残っていて、
ということになるらしいです。
なので、傷を開放創にしてあげて、膿が中に留まらないようにしてあげることが大事、と先生は言う。
開放創…?
つまり、ちょっと切る…。
…
まじかよ。抗生物質もらってこようくらいに思って来たのに、とんだことに…。
ものすごくえええええ……という気持ちが顔に出ていたとみえて、先生は「そんないやがらなくてもいいじゃない。ちゃんと麻酔するからさ。」と言った。
だからその麻酔って注射ですよね!!!
40 も過ぎてこんなあからさまに嫌がってくる大人はあまりいないのか、先生は急に楽しそうになった。
で、またたくまに注射を打たれて(まあまあ痛い)、ちょちょいのちょいと表皮を切られているあいだ(地味に痛い←麻酔された甲斐がないのでは…)、かたわらで助手をしてくれたもうひとりの先生(たぶんリハビリの療法士さん)がいた。で、今日のメインはこのひとである。
その先生は、50がらみのスキンヘッドのおじさんで、やや丹下段平に似ていた。(ご検索ください)
丹下先生はさすが無口でほとんどしゃべらない。ところが、処置が終わって、しばらく休んでいるように言われてひとりで横になっていたら、ちょっとたってまたやってきて、無言で私をちらりと見ると、
「猫は何柄ですか?」と聞いた。
「猫飼ってるんですか?」などの前置きもなくいきなり柄を聞いてくる…。このひとはそうとうなアレだ。
「キジトラですよ」
と答えると、丹下先生は少し黙って、
「…キジトラ…。かわいいですよね…。」とつぶやいた。
「猫好きなんですか」と愚問を承知で聞くと、
「猫ちゃん、大好きです。」と返ってきた。うん、知ってた…。
そして、スッと出て行ってしまった。照れているのか。猫ちゃん…。
その後、丹下先生は再び通りがかりに寝ている私の脇に立ち止まり、
「キジトラ…かわいいですよね」
とだめ押しのごとく言ったのだった。まさかの繰り返しだ。
「キジトラ、かわいいですよね…」と一言一句同じ言葉を返す私。最高にくるっている。
処置室から出て待合室に戻り、会計を待っている間、雑誌のラックにクロワッサンの猫の特集号があったので読んだ。
今ならわかる、誰がこれを置いているのか。
ラックにあるものは、数冊の絵本、新聞、東京ウォーカー的なもの。そして猫の雑誌だった。
そこへ、丹下先生がやってきて、私を見ながら一冊の雑誌を無言でラックに差した。
an anの猫特集号だった。この医院の雑誌ラックは丹下先生に支配されている。
その後も傷の経過を見せに続けて通っているので、そのたびに丹下先生と「キジトラ最高…」「猫のなかの猫…」という話をしている。
なにぶん丹下先生なので、話はあまり広がらない。一言二言話すと、スッといなくなってしまう。
でも一度、丹下先生がいつか飼いたいと思っているという猫の写真を見せてもらった。本先生が席を外したときに、スッとやってきて見せてくれた。
あくまで診察のじゃまにならないようにしている丹下先生なのである。
小さなブロマイドに写っていたのは、「エジプシャンマウ」という種類の野性的なすごい美人だった。
「どこの猫ですか?」と聞いたら、そっけない口調で
「猫カフェ!」と短く言った。照れているのか。
猫カフェに通う丹下先生…。萌えをありがとう。
そういえば、こないだは「西表島、行きたいよね…」とも言っていた。(なぜ「よね」と同意型なのか)
シマシマの中でも野生で高貴なのが好きなんだな。
ちなみに、丹下先生はいま住宅事情で猫が買えないのだが、毎日やってくる「ノラの猫ちゃん」がいるのだそうだ。
心の猫もひとによっていろいろだなあと思う。
丹下先生と私が診察のあいまに「キジトラ最高」と言い合っていたとき、本先生が
「猫って言ったらあれじゃないの。ペルシャ猫。」と話にはいってきたことがある。
その瞬間丹下先生と私が同時に
「はあ?」(モンプチかよ)
となったので、本先生は傷ついて、
「なんだよ、ちょっと言ってみたかっただけじゃん。おれだって猫は好きなんだよ…」と泣き言を言った。
でも、丹下先生は猫全般が好きでノラ猫が好きだが、それは野性美という観点から好きということでもあって、住宅事情が許せば憧れの美女(エジプシャンマウ)に大金を払うのもうやぶさかでない。
私は、ほんとうは猫はなんでもいい。実家にいたタロさんも今のティーちゃんもキジトラなので、キジトラがいっとう好きだ。
猫とのつきあい、ということだと、いつも思い出すものに、じつは猫じゃなくて犬の話なのだが、吉本ばななの『TUGUMI』という小説の一節がある。
子ども時代を過ごした海辺の町をふたたび訪れた「私」は、病弱で性格が悪く、美しい従妹のつぐみと再会し、一夏をともに過ごす。久しぶりに会ったつぐみは、以前とても仲の悪かった飼犬(ポチ)とすっかりうちとけていた。
「私」が「すっかりポチとうちとけたのね」と言うと、つぐみは
「冗談じゃねえ。」「まるで処女の情にほだされてうっかり結婚しちまった女殺しのような気分だ」と答える。
でも、ポチのことを好きじゃないわけではない。
そして、
「たとえばさあ、地球にききんがくるとするだろ?」
と、続けるのだ。
「それで、食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。ま、それ、あくまでたとえだけどな。」
ききんがおこったらわたしはどうするだろう。猫はあまり食べるところがなさそうだし。
じっさいのところ芋のつるをちみちみ分け合ってしまいそうだ。そしてティーちゃんがやせほそって死んだら、頭蓋骨ぐらいはポケットに入れて持ちあるきかねない気がする。死にたてのティーちゃんを、焼いて食べることはするだろうか。
このように軟弱きわまりないうえに、病院では猫に噛まれてひどい目にあいながら、猫のはなしをして帰っていくこれまたアレな人と思われているに違いないし、猫が死ねばきっと泣いて暮らすに決まっている。
それでも、「猫は家族の一員よね」と一片の疑いなく言ってくる人がいたら、すぐさま心のつぐみを発動させて、「冗談じゃねえ」「猫はしょせん猫だよ」と(こころで)悪態をつく気持ちは、これからも大切にしていきたい。
『TUGUMI』
吉本ばなな/著
中公文庫(1992)
978-4-12-201883-9
by はらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
れこ
仕事帰りにスマホで読んで笑いを堪えて死にそうになり、
今もPC前で笑い死にそうになっている私がいます。
3人ともキャラが立ちすぎです…!
『TUGUMI』は大昔に読んだきりだったので、
そんなエピソードがあった事も忘れていました。
読み返さねば(と、思いつつ、自分だったら飼い猫をどの様にして頂くか思案中)。
爽子
何度読んでも面白すぎる~~。
永久保存版確定!
丹下さんの声まで、私聞いたような気がしてます。
TSUGUMIの表紙は大好きな山本容子さんの装丁ですよね。
はらぷさんのメモ、すっごくわかりやすいい~~~。
バイキンがよろこんでるのが特に秀逸
上のほうは、スタジオジブリやね。
さいごのTUGUMIがぽんと置かれた写真、本がたったいま置かれた感を醸し出して
好きだなあ。
ちょっとだけ曲がってるの。
何もかも、沁みました。
はらぷ Post author
れこさん、こんにちは!
笑い死に。最高の感想をありがとうございます。
しかし「3人」てなんですか。納得がいきません。
『TUGUMI』、この本の中でなぜここばっかり強烈におぼえているのかわかりませんが、大好きな本です。
夏の一冊といったら、私はこれかもしれません。
うちにあるのは単行本なのですが、最後のページを見たら、
「マリ・クレール 1988年4月号〜1989年3月号に掲載」と書いてありました。
ひえー。
猫、れこさんのツイートに「保存食」とあったように、干し肉はどうでしょうか。
猫の肉質(知らんけど)に合いそうな気がします。
カバンに入れておいて、少しずつちぎって食べられるし。ききんに向いている。
はらぷ Post author
爽子さん
れこさんへの返信を送ったら、同時に爽子さんからのコメントが届いてました。わーい!ありがとうございます!
丹下先生の話し方、語尾がひょっと投げやりな感じで、声がちいさい(笑)
バイキンの絵は、どうしても槍を書いてしまう!刷り込みおそろしいです。
『TUGUMI』の表紙、私も大好きです。
おもえば山本容子さんのことはこの装丁で知ったのかもしれません。
文庫版も持っているのですが、この単行本の紙質(すりきれてもろもろになりつつある)と、基調がピンクのところがなんだか好きなのです。
思えば、マリ・クレールだからかな。
文庫版の差し色はオレンジなのですよね。
今回この本を再読して、一気に読み終わってこっちがわに戻ってきて、ふーって机に置いた、確かにそういう心持ちでした。はからずも写真が伝える空気!びっくりしました。
AЯKO
丹下先生(検索しちゃった。いかつい顔ですね。)も相当なアレだけど、あなたはその人に「同類発見」と見込まれたんですねえ(笑)。なんかこういう変な人の良さがわかるようになったのは、年取ってきたからかねえ。
戦争中は食糧難で猫を平気で食べていたので、「猫を食べるのが話題になる。平和な時代が始まったのだ。」みたいな吉行の短編を読んだことがあります。
それにしても、噛み傷でそんなに指が腫れるなんて!
小さい時よく猫キックと共に噛まれても傷にならなかったのは、あの猫は私が子供だからって甘く噛んでくれていたのかも、と気づいてきゅんとしてしまった。
はらぷ Post author
AЯKOさん、こんばんは!
そうですね…なぜか昔からアレな人に見込まれる傾向が…。
戦争中は、そうか猫も食べていたんですね。犬を食べていたことは知っていたけど。
犬は赤ー黒ー白の順でおいしいとなんかの本に書いてありました。
猫はそういうのあるのだろうか。
猫は意識があるときは手加減してくれているのでしょうね。
実家の猫もガブリエルなのですが、不思議と甥っ子と姪っ子は噛まないです。
わかっているのかな。
獣と暮らしてんだなあとあらためて思ったことでした。
これからは、寝てるとこをさわるときには声をかけてからにします。。。。