ゾロメ日記 №58 出でよ、関守!劇場
【主な登場人物】
★義父・・・午後のデイサービス(リハビリ)部分復活。施設の職員の方には「入院前と変わらない」と言われている。
★私・・・食欲がすごいことになっている。精神衛生のために体重計には乗っていない。
◆11月某日
ことしもあと2ヶ月を切った。ここ十数年、毎年毎年「夏が過ぎれば一年は終わり」を標榜しているが、今年も自分の感覚の正しさを実感中。なんなんだ、この一気感!いつから秋は、各停どころか、快速でも急行でもなく、夢の超特急になってしまったのだろうか。近いうちに、超特急どころか、夢だけになるんじゃなかろうか。
この時期、つい「光陰矢の如し」というベタなことわざを多用しがちだけれど、同じ「光陰」モノなら、マイナーだが「光陰に関守なし(こういんにせきもりなし)」の方が珍妙で好きである。関守という、関所の監視役というか、ストッパーの登場が唐突で可笑しい。関守がいるといいなあと思うのは、月日や時間だけじゃないだろうに。「散財に関守なし」「食欲に関守なし」「天候に関守なし」「親の死に目に関守なし」…ままならないのは、こぞって関守がいないせいである!?
◆11月某日
義父の退院から二週間経ち、直後の大混乱(by自分)は徐々にではあるけれど落ち着いてきた。トイレにもほぼ自力で行けるようになったし、夕暮れ症候群も短縮ヴァージョンに移行中である(と思いたい)。
Twitterの文字数をめいっぱい使って些事をつぶやくという、私のうっとうしい習慣も戻った。自分の体調の懸念もあって、なにかと閉塞感に陥りがちだったが、Twitter経由で「無言だと心配する」「ちゃんとくだらないことも考えてる?」と声をかけてくれたり、リツイートや♥をクリックしてくれた方々には本当に感謝だ。
新機軸も発掘した。前回のこの日記でも披露した夫ネタである。いままでもけっこう自分の書くものに夫を登場させてきて、もっと言えば、1990年代の「本の雑誌」の読者投稿欄【三角窓口】では、それこそが私の十八番だったのだが、ここに来ての再雇用(?)である。
夫のTwitter登場率と愛情度が比例しているとは思わないし(思わないのか)、スマートに、たとえばcometさんの『ウチの失語くん』のように、笑いとペーソスが両立している夫婦の世界も描けないと思うが、落ち込むことの多い日常でも、なんかかんかと笑いが絶えないのは夫によるところが大きいと思っている。ネクラ(死語!?)になりがちな私の関守なのかもしれない。
Twitterでも書いたことなのだけれど、義父母の部屋を片付けた。ふたり揃って介護ベッドをレンタルすることにしたので、その場所作りのためである。
メインは家具の移動で、あとは180×50サイズのひょろ~んとした棚を1個整理しただけなのだが、今の家に住んでから三十余年分の義父の歴史がぎっちり詰まっている棚は、物理的より精神的な意味でしみじみと重いのであった。
会社員時代の表彰状、孫を中心とした数多の写真、工具類、熟年カルチャーセンターで水墨画と表装を習っていたときのテキストや作品や道具箱、そして本…。棚の品揃えと配置、管理を見てあらためて、義父の几帳面で清廉な人柄を思い知る。ヘンなものがないのだ、1個も。つまらないくらいだ。
中に、5年前まで14年間、我が家にいたマロの絵があった。
義父は、マロと日に三度は散歩していた。私や夫が「もう行ってきたよ」と言っても行った。そんな仲良しコンビだったので、ふたりは近所でも有名だったらしく、義父を散歩に連れ出すと、今でも「マロちゃんのおじいちゃんですよね」と声をかけられることがよくある。お互いを気遣い合うように歩く姿は、世の中の善きことの象徴のようだった。
絵を眺めていると、そんなふたりのあれこれが思い出される。義父は、自分がマロを描いたことは覚えていないようだが、マロのことはしっかり覚えている。「絵を見て、義父とマロを思い出す」のではなく、「絵を見て、マロの思い出を義父とじかに語り合え」てよかった。
そして、棚には数日分の新聞があった。無造作に畳まれていたので特に意味はないのかと気軽に開いたら、2011年3月12~15日までの新聞だった。今読んでも、悪夢が載っているとしか思えない。そういえば、義父も私と同じく福島県出身なのだった。あのとき、故郷を含む被災地の姿を映す報道を、義父はどんな思いで見ていたのだろう。
◆最近、読んだ本
『光炎の人 上下』木内昇/著
力作だ。すごい小説だ。だが、当初の自分の立身出世モノという予想は見事にハズれ、あまりに救いのない終盤に辛くなった。たぶん二回は読まない。
『鬼才 五社英雄の生涯』春日太一/著
『天才 勝新太郎』も面白かったが、これも一気読み。五社監督の知られざる「ひとり昭和ドラマ映画史」は、濃くてエグ味が強くて切なかった。
出自についてはググッと掘り下げられていたが、その後の私生活というか、家族のことにはほとんど触れられていない。でも、きっとこの視点と切り口がベストなのだろうなあ。書き手の対象に対する強い思いが、言及はされているものの、文章の端々にちらつかないところが、ある意味すごい。そして、夏目雅子と荻野目慶子もす、すごいっ。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
★毎月第三木曜日は、はらぷさんの「なんかすごい。」です。