【月刊 切実本屋】VOL.2 「戦後百年の世界」
2011年春、大きな地震と原子力発電所の事故が起こってからこっち、現実が、最悪の予想や嫌な予感をあっけなく飛び越える瞬間を何度も見た気がする。
それまでは、最悪というのは「いくらなんでもそこまではゼッタイ到達しない地点」だと思っていた。そして、嫌なことなんて、たいがい予感の余地なく起こるものだから、予感を覚えたことはむしろ起こらない、と自分に言い聞かせて毎日を暮らしてきた。
あれ以来、国の内外を問わず、そして災害や事故に限らず、人々の予想や予感をせせら笑うような出来事が頻発しているようで混乱する。でも、混乱はまだいいのかもしれない。気がつくと麻痺し、諦め、受容しそうになっている世間、そして自分がいる。
そう。世の中に麻痺と受容ぐせがついている感じだ。国の、世界の、遠くない将来を左右するような大きな決定についても同様だ。無力感と親和性の高い諦観が蔓延し、とんでもない案件がいつのまにか決済終了の箱にミルフィーユのように積まれていく光景を、自分を含めた多くの人々がぼおっと見ているイメージが払拭できない。
こんな社会の行き着く未来はどこなのだろう…そんな問いにひとつの回答を示したような小説を読んだ。 『岩場の上から』(黒川創/著)だ。
このところ、『蜜蜂と遠雷』(恩田陸/著)、『死してなお踊れ』(栗原康/著)、『君の膵臓をたべたい』(住野よる/著)など、著者の情熱や思いが前面に出た本を続けて読んだので、自分を少しクールダウンさせたくなった。そんな気分で図書館に行って目にとまったのが『岩場の上から』だった。この本には情熱を感じなかった、というわけではない。が、地味な表紙と地味なタイトル、最初のページを読んで、「熱量を抑えた静謐な小説じゃないか」と踏んだのだ。
とんでもなかった。静謐な小説であることは間違いなかったが、テーマはおそろしくハードで、およそ、自分をクールダウンさせるシロモノではなかった。読み終わって一週間近い今も、心がざわざわし続けている。
戦後百年、今から28年後の西暦2045年の日本が舞台の小説だ。伝説の奇岩と、陸軍の基地と演習場、そして物騒な施設建設中の噂がある北関東の院加(いんか)という町に17才の西崎シンという少年がやってくるところから物語ははじまる。
シンをはじめ、主要人物が何人かいる群像劇形式だ。エピソードが同時進行で進み、徐々に彼らが繋がって行く。こういう小説、好きだ。
2045年、車は自動運転になっているものの、未来都市的印象は皆無で、2035年に起こった大規模な磁気嵐で地球磁場は破壊され、その余波で若者の「スマホ」離れが一気に進み、スマホにすがっているのはほぼ老人になっているという設定。
30数年前に起こった原発事故による放射性物質の現況は八方塞がりで、その後も稼働し続ける原発、増え続ける使用済み核燃料とその最終処分場の建設問題…今の日本と地続きの28年後は重苦しい。
さらに、自衛隊は軍隊になり、人工知能に居場所を侵蝕された多くの貧しい若者が入隊して「積極的平和維持活動」という名の戦争に駆り出されていく。が、報道規制が敷かれ、市井の民には状況が見えない。いや、国の中枢の人間のほとんどにも本当のところは見えていないのかも、目の前の懸案を付け焼刃的に処理しているだけかも、と思わせる二重底の恐ろしさもある。そして都市伝説のように流布される不気味な総統(原発事故後の総理大臣経験者。こどもはいないらしい)の存在。
この小説に描かれた世界は、今の自分たちが目を背け、見なかったことにして「受容」していることの結果としか思えず、自業自得の気持ちのヒリつきがハンパない。
後半、浜岡原発に籠城事件が起こる。2017年の今も、原発施設はテロ攻撃の標的になる危険性が指摘されているが、戦後百年に誰がどんな目的で原発に立て籠ったのか…がとてもリアルだ。リアル過ぎてやりきれなさでいっぱいになる。
と、ここまで書くと、救いようがない、陰鬱一辺倒の小説のようだが、必ずしもそうじゃないのがこの書き手の力量だと思う。ただ、実際の戦後百年はもっと悲惨かもしれないとも思う。苦い。
登場人物に光一という25才のボクサーがいる。彼はデビュー戦でKO負けを喫し、周囲の反対を押し切って陸軍に入隊するが、自分の間違いに気づき、部隊から逃亡する。妹がそのことを光一のトレーナーだったメキシコ人の老人ジョー(彼のイメージは完全に沢木耕太郎『一瞬の夏』のエディ・タウンゼント!)に話す。ジョーは「それはよいニュースだ」と言ってさらに続ける。
「わたしはね、もうニッポン人は、このありさまから誰も逃げだすつもりがないんじゃないかと、毎日、がっかりしつづけていたんだよ。コーイチに、幸運を、と伝えておくれ。ありがとう、とも。(後略)」
2045年、生きていれば私は80代なかばだが、この小説を読んで、未来を託すこどもたちに、今の大人が伝えなければならない心のありようの一端を垣間見たような気がする。うまく言葉にできないけれど、それは、想像力が欠如した二者択一や優劣だったり、同調圧力だったり、逃げを許さない、じゃないことだけは確かな気がする。苦いからこそ、多くの人に読んでもらいたい小説だ。
by月亭つまみ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
◆来週は第三木曜日。はらぷさんの「なんかすごい。」です。
花蓮
このところ、麻痺しながらもひしひしと恐怖を感じるという矛盾した状態が続いています。
麻痺するというのは、自分にできることがあまりになさすぎることの無力感から来るのでないかとおもっています。
もうね、共謀罪(名称はかえてましたね)も無茶苦茶なやり方で決裁してしまうし。
最近ではあまりに食らってしまうので政治問題のニュースを避ける有り様です。
でも問題意識だけは持ち続けていなくては、という最後の砦的なものだけは残っていて。
お薦めの本、読んでみます。
つまみ Post author
花蓮さん、こんにちは。
ヘタレな記事に反応してくださってうれしいです。
麻痺と恐怖、そうなんですよね。矛盾したものがふつうに自分にある感じ、私もそうです。
ニュースを見たくない気持ち、これまた同感です。
臆病で行動力もないからこそ本に逃げているのかもしれない…と思いつつ、今は森まゆみさんの『暗い時代の人々』を読んでいます。
思いのほか読みやすく、出てくる人物がこぞって魅力的です。