クリスマスの思い出。
もうすぐクリスマスである。今年もクリスマスである。僕が生まれてこの方、毎年12月になると僕の周囲ではクリスマスの食事会やらパーティやらが催され、その時々に楽しんできたのである。
その時々、というのは、バブル景気の頃には、なんだかわからないのだけれど、グランドピアノが置いてあるようなオシャレなラウンジを借り切ったパーティーに呼ばれたり、リーマンショックであたふたしているときは、近所の中華料理屋で餃子を食べながら「メリー苦しみます!」と乾杯してみたりするような、その時々である。
元来、真言密教檀家である僕の家ではなくてもいいような行事なのだが、物心ついたときから12月と言えば、クリスマスなのである。世の中がクリスマスに乗じて商売を繁盛させようとしているのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが。うちの亡くなった親父などは、家ではえらそうな口は聞いていても、外では調子乗りだったらしく、宴会場で仲居さんに抱きついているような写真や、三角の紙の帽子をかぶって踊っているような写真を密かに見たことがある。
それに、クリスマスの定番と言えば、ケーキ!チキン!プレゼント!と、子どもが「!」を付けないと言えないようなものばかり。このあたり、布教活動の一環かとおもったりするほどの用意周到さである。
というわけで、子どもの頃から、我が家にもサンタはやってきていたのである。らくだのシャツとあたたかそうな起毛のパッチをはいて。確か小学校の二年生くらいだっただろうか。まったく眠くないクリスマスイブの夜。しかし、寝ないとサンタは来ない。なので、必死で寝たふりをしていたのである。すると、がらりとフスマが開いて、らくだのシャツとパッチをはいたサンタらしき影が入ってきた。「なんと、お父ちゃんに似た格好だろう」と僕は思っていたのだが、サンタはその後ろにいた、これまた母親にそっくりな人影に「クリスマスは本来、仏教徒には関係ない」と話だした。
「クリスマスは本来、仏教徒には関係ない」
「ほんまやなあ」と母。
「な、そうやろ。それを子供だましの商売するために利用しとるんや」
「そうやな」
「けどもまあ、プレゼントやらんと肩身の狭い思いをさせるかもしれんしな」
「ほんまや、それはかわいそうや」
「そやから、もう思い切って、プレゼントを買ってきてやったんや」
「ほんまえらいわ」
「な、靴下用意しとるんか、うちの子どもらは」
「してます、してますよ。ほら」
「あほか!こんなもん小そうてはいるかい!」
「ほな、横においときいな」
そんな会話のあと、父と母は出て行ったのである。ああ、そうである。もうこの時点で、二つの影は父と母に似たサンタと誰かではなく、紛れもない父と母であることに僕は気付いていたのである。そりゃそうだろう、あんだけクセの強い話は、父親以外に聞いたことがない。
二人がいなくなって、僕はすぐに期待に胸を膨らませて、プレゼントを見たのである。すると、僕が用意していた、僕が持っている中で一番大きなゴムの伸びきった靴下の横に、プレゼントはあった。それは不二家の店先で昼間手にとって眺めていた長靴型のお菓子の詰め合わせだった。
なんとなく、「ああ、これか」とがっかりしてしまった僕は、ここでがっかりすることは、この家の一員ではなくなることのような気がして、一通り不二家の長靴を眺めた後、僕の靴下の中に無理矢理詰め込んで寝たのであった。なぜ、靴下の中に詰め込んだのか、当時の気持ちは思い出せない。なんとなく、ちゃんとしたクリスマスプレゼントにしなければ、と思ったのかもしれない。
翌朝、前夜のやりとりを聞いていたせいか、素直に僕は「サンタが来た!」と言うことができた。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
カミュエラ
こんにちは、今年もクリスマスがやってきましたね。
私が子供のころ、サンタさんからプレゼントをもらったのはたったの一回きり・・・・・
しかもそのプレゼントは自分ちの店(田舎の何でも屋)で売っていた「お絵かき帳」!
それまでクリスマスとかあまりよくわかっていなかったのに、小学校に入ってたぶん友達とかに聞いたのだと思いますが、「靴下を枕元に置いておくとサンタさんが煙突から家に入ってきてプレゼントを靴下に入れてくれる」らしいと・・・・うちに煙突なんてないし、去年まで来なかったサンタさんが今年突然来てくれるのか?などちょっと心配な部分はありながらも、そんなことを突然言い出して自分の小さなピンクの靴下を枕元に置いて寝た年がありました。
慌てたのは祖父でした。それぞれの仕事に忙しくしていた両親の代わりに特別私をかわいがってくれていたのが祖父だったのですが、突然そんなことを言われても・・・・(笑)
朝起きたら、私の小さな靴下にそのお絵かき帳が丸めて入れてありました。
見慣れたお絵かき帳を見てがっかりしたのは一瞬で、祖父の気持ちが痛いほど伝わってきて切なくなりました。
それ以降はプレゼントを期待することもなくなりましたが、毎年祖父と一緒に近くの山に行ってクリスマスツリー用に樅ノ木っぽいのを失敬してくるほうが楽しかった思い出があります。
昔は実家ではクリスマスといえばバタークリームのケーキかアイスクリームのケーキを仕入れて売っていたのですが、毎年アイスクリームのケーキが必ず少し売れ残ってそれは家族で食べるしかなかったのですが、クリスマスが終わった後に食べるケーキのなんとも物寂しい味がいまでも忘れられません。
uematsu Post author
カミュエラさん
いい話ですねえ。
おじいさんの気持ちがとてもよく伝わってきます。
いいなあ。
樅の木っぽいのを取りに行く件も最高です。
うちは、クリスマスになると、母親がチキンの照り焼きを作ってくれました。
あれが七面鳥の、代わりだと気付いたのは成人してからでした。
アメちゃん
カミュエラさんのお話、じーんときますね。
おじいさんがとてもカミュエラさんをかわいく想ってたのが伝わってきます。
そうそう。
こどもの頃、クリスマスケーキはバタークリームが定番でしたね!
我が家は母が「ショートケーキの方がおいしい」と言って
サンタやモミの木の飾りのついたクリスマスケーキは買ってくれませんでした。
とりあえず、夕食後にフツーのイチゴショートを食べて
せわしく洗い物をしてる母(←外で働いてたので)に
「歌とか歌わんの?」
と聞いたら
「何歌うん?歌わんよ」
と言われ、
私は一人、柱にもたれて「トロイカ」を歌ったのが
私のクリスマスの思い出です。
クリスマスパーティなどするような家庭じゃなかったですねぇ。
それにしても思い出って、楽しかったことより切なかったことの方が
色濃く残るのはなんででしょうね。
uematsu Post author
アメちゃんさん
トロイカ、僕も歌いました。
なぜだろう、確か、従姉妹のお姉ちゃんに教えてもらったんだと思います。
うちも、クリスマスパーティーなんかしませんでした。
ただ、一度だけ、たまたまクリスマスのタイミングで、
従兄弟たちが集まるということがあって、
その時だけ、クリスマスパーティっぽくなったことがあります。
でも、子どもたちが楽しくやっている間に、
大人たちの酒盛りが始まって、
父親同士がケンカしたり、そのケンカに入ったおばさんが泣き出したり。
結局、どうしようもない感じになって終了。
だけど、子どもたちはここで自分たちが騒ぎ出すと、
パーティが終わってしまう、と思ったのか、
修羅場のなかでも、歌を歌いながら、
粛々とプレゼント交換なんかをしていた覚えがあります。
やっぱり、切ないことばかり覚えてますね。