神楽坂の坂の途中で喧嘩する。
寒い寒いと、言葉で言わなくても体中から聞こえてきそうな冬の朝。まだ残っている雪に足を取られないように、神楽坂を用心しながらゆっくりと上がる。すると、僕と同じくらいの年格好のおそらく夫婦と思われる男女が、坂の途中の歩道で話をしている。
「神楽坂って感じのお店だったわね」
と、おそらく奥さんが言う。
「でもまあ、そんなうまくはなかったなあ」
と、おそらく旦那が言う。
まあ、邪魔くさいので、旦那と奥さんということで決めつける。
「見栄えはするのよ」と奥さん。
「見栄えはするね」と旦那。
「味が濃いけどね」と奥さん。
「味が濃かったね」と旦那。
このあたりの会話を聞いているときに、僕のスマホがブルブルと震える。おそらくメールが来たのだろうと、僕は立ち止まってスマホを操作する。ちょうど、夫婦とすれ違ったあたり。あちらも立ち止まってるし、こちらも立ち止まったということで、会話がぐいぐい入ってくる。
「あなたさあ」と奥さん。
「……おれ!?」と旦那。
「そう、あなた」と奥さん。
「おれがどうしたの?」
「もうね、ずっと思ってたのよ」
「ずっと?」
「もう、何十年も」
「なにを」
「あなたさあ、私と話してるときね」
「うん」
「私が言ったことをオウム返しに言ってるだけなのよ」
驚くのはこちらである。さっき食べた昼ご飯の話をしていたのかと思ったら、もう何十年来、奥さんがため込んでいた旦那への不満が急に噴出したのである。
「いや、そんなこと急に言われても」
「急じゃないのよ、私はもう結婚以来三十年以上、ずっと思ってたの」
「ずっと思ってたの?」
「そう、ずっと。なんで、この人は私の言うことを言い返すだけなんだろうって」
「ずっと?いつから?」
「だから、結婚する前から」
「いやだったわけ?」
「いやだったの」
「そんな急に告白されても」
「私だって、言うつもりはなかったんだけど、言っちゃったのよ」
「言っちゃったの?」
「言っちゃたのよ、せっかく二人で神楽坂に遊びに来たのに」
「神楽坂に来たのに?」
「ほら、今もオウム返しなのよ!」
「オウム返しか」
と、端で聞いていても、どうしようもないくらいにオウム返しな旦那なのだが、結婚以来三十年以上我慢してきたことが、いきなり表面に噴出する瞬間に立ち会えた喜びで僕はうきうきわくわく。これはいったいどういう方向へと展開していくのか、と思っていたのだが、話の終わりは唐突にやってきたのだった。
「わかった」
と、旦那が急に奥さんの話を断ち切ったのである。
「わかったって何が?」
と、奥さんが聞き返すと、旦那がニコニコと微笑みながら言うのである。
「今日から、オウム返しはやめるよ」
すると、奥さんがちょっと疑いのまなざしを向ける。
「ほんとに?」
「ほんとに!」
ここで、僕が想像した奥さんの答えは、
「いままで、ずっとオウム返しだったものが、急にやめられるのかっ!!」
というものだった。そりゃそうだろう、人間急に自分の癖のようになっているモノをやめられるわけがない。僕は奥さんがそう返すだろうと思っていた。すると奥さんは答えたのだ。
「わかった。じゃあ、信じてあげる」
「信じてくれるの」
「うん、頑張ってなしてくれればいいよ」
「なおせばいいよね」
と、すでにオウム返しになっているのに、奥さんは「オウム返しをやめる」と言った旦那の言葉にうれしさ満開の表情なのだ。
ほんの数分の会話のなかで、数十年の不満を噴出させ、しかも、あっという間にそれが収束したかと思うと、今度は手をつないで神楽坂を下っていくのだ。
ああ、春はもうそこまで。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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