◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第9回 受容とやっかみ
いまだに時折、「自分のこどもがいたら人生はもっと面白かっただろうなあ」と思う。そんな思いがよぎるのは、仕事で他人様のこどもと接して、そのキテレツな行動やトンチンカンな発言やスットンキョウな発想に触れたときなどの、比較的ライト(?)な感じがほとんどで(一例⇒★)40代前半ぐらいまでの、情緒的でウェットな気持ちとはずいぶん違っている。
違う理由をつらつら考えるに、あれから(どれから?)もう長い年月が経ったから、というのは大きいものの、人生経験を積んで人生観が変わったからとか、夢中になれるものを見つけたから、だとは思えない。到底。
じゃあ、なんでこんなに違ったんだろうと考えてみて、自分でもちょっとたじろぐ仮説に行き当たった。それは「そもそも自分は、そんなに切実にこどもが欲しかったわけでもないのかもしれない」だ。
30代の頃、友人から子育ての苦労を延々と聞かされ、励ますつもりで言葉を発したら「こどもがいない人にはわからない」と言われ、しばし凍りついた。こどもに関するこっちの事情や事件(?)を全部知っている人だったので、ことさら冷酷な言葉に聞こえたのかもしれない。
「こどもがいない人にはわからない」と言われると何も返せない。そのとおりだから。そしてその手の言葉は、多少の段差はあっても境界線なんてないはずの、本来は地続きの場所を切り裂く。持たざる者は、おいそれと持つ者に近づけなくなる。不用意に傷つけられるのが怖いから。今より無神経な発言が跋扈していた20世紀は、おおげさだと言われそうだが、武装しないと世間に出ていけないイメージだったのだ。
今振り返ると、自分で自分の居場所を狭めていただけだった。でも、武装して遮眼帯まで装着していると、そのことがわからない。間違った場所になんていないのに、そもそも正解の場所もないのに、まわりが見えなくなって、判断力が停止し、自分だけが不本意で不幸な場所に取り残されたような気になる。羨望と妬みと嫉みとやっかみの境界線もあいまいになる。
それが、2000年ぐらいまでの私だった。
そして今、世紀をまたいで、人生三つ目の年号の時代に入ろうとしている。当時はあんなにヒリヒリして、ナーバスでデリケートで大問題だったこどものことが、今では「いればたぶんかけがえのない存在で、人生の喜怒哀楽の濃さが違ったかもしれず、いないことなんて想像できない人生だっただろうけれど、いないんだからその仕様で生きていくしかないわけだし、もうそれに違和感はない。人にはいろいろな種類の不安や淋しさや心配があるようだし、こどもがいてもいなくても、その絶対量は変わらないような気もする。そもそも、なんであんなに苦しかったんだろう。本当にそんなに切実だったのかな」になっている。…独白が長いな。
強がりだと思われるのかもしれない。実際そういう部分もあるかもしれない。でも、加齢も悪くないと思えるいくつかのうちのひとつがこういう心情なのだ。
もう、受容し過ぎて、つまんない人間に成り下がったな私。人間がデキてしまうのも考えものだ。今後の課題は、受容とやっかみのバランスかもしれない。どっちも、あり過ぎてもなさ過ぎてもきなくさくて、うさんくさい。
ま、なにかと、くさいのが人生っすけどね。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
アメちゃん
その昔、私の言ったことに腹を立てた姉に
「こどもを育てたことのない人は、人として幅がないんや!」
って言われたことがあります。
私も凍りつきましたねぇ。
元々私は、こどもはキライじゃないけど
自分のこどもが欲しいとおもったことがないので、
まぁそんな偏見を言われても、別に傷つかないんですけど
こどもが欲しくても、病気やいろんな理由で出来ない人に対して
人としての幅がー、とか言えるのか?
20代で普通に結婚して、妊娠出産と問題なく、すぅっとこなせてきた姉こそ
そういう人達のことに想いが至らないのじゃないの?と
言い返せなかったことが悔しくて悔しくて(笑)。一晩中号泣しました。
私はホント強がりでもなく、こどもが欲しいって思ったことないんです。
結婚にも憧れたことがなくて…。
だから、女の幸せ=結婚とか、こどもを胸に抱くこと、とか言われると
私は違うんだけどな…って思います。
もしかしたら過去生で、さんざ子沢山とか子育てを経験してきて
今生では「もう一人になりたい…」と思ったのかもしれません。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんばんは。
人として幅がない…そうですかあ。それはまた。
傷つかなくても、ずっと忘れない言葉ってありますよね。
したり顔で「それが、傷ついてるってことじゃないの?」と言う人がいそうですが、私の「こどものいない人にはわからない」も、傷ついたというのとは違うのですよね。
人って、余裕があったり情緒が安定してるときは他者に優しくしたり、人の多様性を認めるようなことを言うけれど、テンパっちゃうと、最短距離で自分を守るために人をバッサリ斬ることが易易とできちゃんだな、こりゃあ、うかうかしてらんないぞ、と身が引き締まったあの一瞬の冷水を浴びたような感覚は、今度は自分が身を守るために必要だった冷感なんでしょうか。
私は、こどもがいればいいなあと思ったクチですが、友達のような親子はなぜか昔から苦手です。
もしかしたら過去生(←この言葉、初めて知りました)で、友達的ポジションになりたがる親かこどもに辟易してきて、今生では「っけ!しゃらくせー!」になっちゃったのかもしれません(^-^)
Kirin
いつもとっても楽しみに拝見してます。
つまみさんと境遇がちょっと似てます。正職員の3倍の仕事量の非常勤職員歴12年目。老親介護。それからうつ病の旦那さん。あ、高齢で設けた娘がいますが、今思春期で面倒くさいことこの上なし。そんなこんなで、日々、ほかの人、もの、コトをやっかんで生きているので、大忙しです(笑)自分の頭の中のもやもやしたもの、混乱した感情を、つまみさんが明晰な文章でまとめて整理してくださっているようです。
私は、多分つまみさんと同い年くらいなんですが、おそらくつまみさんのような知性がないからでしょう。受容力がとんと育たず、もう・・・疲れます・・・いや、ほんと。バランス大事・・・
つまみ Post author
Kirinさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
望外なお言葉、うれしいです!!
「やっかんで生きているので、大忙しです(笑)」というフレーズ、笑ってしまいました。いいですねえ。
ふつう、この流れで「大忙しです」とは書きませんよ(^O^)
「ツライです」とか「疲れます」とシリアスに続けて、わかりやすい共感を得ようとするが通常なのに、「大忙し」と言われると、忙しいんかいっ!?とちょっと膝カックンして、笑って、むしろ共感の度合いは大きくなりました。
Kirinさんこそ、知性の人だと思いました。
受容力は諦め力と昵懇だと思っています。
不屈の精神で、どんな厳しい状況でも願いを叶えようという精神力がないんでしょうねえ。
唯一、精神力を発揮する場面があるとしたら、ラクをするためかもしれません(^^;)
同い年くらいとあらば、無理は禁物です。デキる自分などを目指さず、でもなるたけ腐らず、テキトーにやりましょう!?
のどか
件のご友人は、子供のいる人がつまみさんと同じ励ましを伝えた際にはどんな返答をなさったんでしょうね
私の推測では「あなたにはわからない」か「うちの子を育てたことない人にはわからない」ではないでしょうか
つまみさんにもそのように返答したなら、つまみさんの友人さんへの評価も違っていたのではないかなぁ
そんな事思いつつ、私もムカつく薄毛上司には、心の中で「このハゲ!」「来たるべき輝かしい未来が今すぐ訪れろ!」と思っています(笑)
つまみ Post author
のどかさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます!
どんな返答をしたんでしょうね。
平常心をなくしていたから、誰もが自分よりお気楽だと思って、自分をちゃんと理解してくれる人は世界のどこにもいない、ぐらいに殺伐として気持ちにだったように見えました。
ま、どんなときでも「ちゃんと理解」なんて無理で、そんな人、いないんですけどね(^^;)
わかりあえないことが前提で、ただ、悩みや愚痴を吐露したいだけ、だったりするのでしょうが(自分を鑑みても)、聞く方も、じゃあ、その前提のまま、ただ「そうかそうか」と聞いているだけでいいかもしれないのに、つい、それじゃ芸がないかなと余計なサービス精神を発動して、寄り添うようなことを言ったりすると、なんか踏んじゃったりして。
人と人の間に、正しい回答なんてないなあとあらためて思います。
私も、ムカつく人間を(親戚とか)脳内で何度葬ったことか(^O^)。
「来たるべき輝かしい未来が今すぐ訪れろ!」って可笑しい!
つぶやきシローの「周りがイエスマンばかりになってダメな人間になれ!」に匹敵しますね。