【月刊★切実本屋】VOL.23 スベっても転んでも
何度もこの場で同じようなことばかり書いているが、ここ4~5年、めっきり読書量が減っている。読書力(視力や記憶力や根気や好奇心)の衰えのせいと、まとまった読書時間の捻出が難しくなったことが原因だと思われるのだが、最近はその中でも「記憶力の低下」が著しくて悲しい。読んでいる最中の本の内容が覚えていられなくて、読み続ける意欲が失せるのだ。それは、悲しいや情けないを通り越して腹立たしい。
つい半日前、下手すりゃ小一時間前に読んでいた本の記憶が定かでなくて愕然とする。栞が挟んであるから確かにそこまでは読んでいるはずなのに、ページを開いて「もちろん、さっきの続きですけど」的に繰り広がっている(?)世界にピンとこない。
記憶を呼び覚ますのにある程度の時間が必要なのはもうあたりまえですらあるが、たまに、かなりページを遡っても心当たりがなかったりする。とんだ迷い子気分だ。
文字は追っていても、内容がまったく目から先に進まない症状はかなりの人にあるようで、「目がスベる」と称する人も多い。私の場合、スベっている自覚すらなく、何ページも読んだ「気になっているだけ」のことがよくある。
違うことに心が持って行かれているとそうなりがちだが、文章がわかりづらかったり、そもそも、内容に興味がない(こう書くと、元も子もないな)、難しくて理解できないのに惰性で読んでいる、などもけっこうある気がする。
そんなの、早く気づけよって話だが、哲学書や専門書ならいざ知らず、文学作品の場合、序盤に多少「つまんないかも」と思っても、カンタンに見切りをつけたくなかったりもする。なぜなら、昔、むさぼるように読んだ高橋たか子のような、今、もしかしたらいちばん読んでいる堀江敏幸のような、ある程度、奥に進まないとその豊潤さに気づきづらい小説もあるからだ。
とりたてて大きな出来事が起きなくても、なんならストーリーなんてほぼなくても(乱暴)、じわじわと心に沁みてくる小説がある。一見とっつきが悪く、饒舌で散漫に見え、しばらく文字の羅列のリズムに乗れなくても、そんなある種の「峻しさ」こそが魅力で、読了後はいつまでも心に残る物語がある。
『河岸忘日抄』(堀江敏幸/著)はまさにそんな小説だ。ここであらすじを書いても、「読もう!」と思ってくれる人はあまりいない気がするが、ある男が日本を離れ、以前住んで馴染みのあるフランスに渡り、河岸に係留されている船で暮らす話だ。樽と珈琲とレコードと本と個性的な船の大家に囲まれた彼の日々は、静謐で孤独で迷いだらけで文学的で、名言とメタファーに満ちている。
続きが気になって一気に読みたくなるタイプの小説ではない…というか、ゆっくりじっくり時間をかけて読まなければ意味がない小説だ。読書が目的地までの旅だとしたら、新幹線ではなく、各駅停車で何度も乗り継ぎ、寄り道して旅する物語だと思う。その方が物語の滋養を享受できるはずだから。
音楽も、ジャンルを問わず聴きたかったり、映画も、シリアスもコメディもどっちも見たいように、本もいろいろなタイプのものを読みたい。昨日まで苦手だったジャンルが好きになったり、逆もあったり、そういう「幅や動き」が多い方が、本屋さんや図書館に行く楽しみが日常の延長ではなく、独立した非日常になる気がするし、思いがけない現実の「揺れ」にも対処できそうな気がする。たとえば岐路やピンチに立たされても、転ぶことはあっても致命傷を負わないんじゃないか…。
そう思いたいだけかもしれないけど、。
by月亭つまみ
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まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
kokomo
父が今の私くらいの年齢だった頃、既に家にある本を買ってきて、同じ本が二冊本棚に並ぶということが続いていました。母は激怒するし、私も「なにやってるんだよー」と心の中で思っていましたが、父、ごめん。この前同じことをやっちまいました。
それからというもの、本を買うときは中身をチェックしてから買うようにしているのですが、中身を見ても読んだような気がするけれど、読んでないような気もするし、デジャブ?もう一度家の本棚をチェックしてからまた買いに来よう、と家に出戻り。当然の如く家では本棚を覗くのを忘れ、再び本屋という無限ループです。
「目がスベる」というのですね。私もこの前本を読もうとしたときにハングル文字か何か、わからない文字を追っているような錯覚を覚えました。老後の楽しみには読書をと思っていましたが、それがいかに浅い考えだったかと思い知らされています。
つまみさんに比べたら私の大変なんて屁でもないですが、平穏や安泰からは程遠い日常です。でも、つまみさんが書かれているように、仮想的にでも心理的な振り幅の許容範囲を広くしておくことで、傷を受けても浅くて済むんじゃないかって思っております。つまみさんが読書を心から楽しめる時間が少しでも長くなりますように。
匿名
つまみさん、こんにちは。
「目がすべる」
言いえて妙ですね。あるある!です。
先日は上巻よんで下巻に入ったところですべりまくり、もう下巻は断念して返却しました。好きな作家さんだし、展開も巧みなのにどうしても読む気にならず・・・
でもカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」はじわじわ読んだのにすっかり飲み込まれて深く刺さりました。何度もでたらめに開いたページを読み返したりして。
不思議とそういう本は細部を覚えてますね。
どんな時でもこころにスッと入ってくるものは必ずあるし、そうじゃないものもあるってことかな・・・と思います。
「幅」といえば、先日「れもん、よむもん!」というエッセイ漫画で紹介されていた「ココの詩」という児童向け(と言っても高学年。425ページ)作品を読んだばかりなのですが、ノックアウトされました。楽しく読みやすいのに大人が読んでも深い・・・!体の予想外のところをストレッチされた気分です。
凜
↑
すみません。凜です。
つまみ Post author
kokomoさん、こんばんは。
うれしいコメント、ありがとうございます。
その無限ループ、ホント、よくあります。
最後まで、読んだことがあるのかないのかわからずじまいだった本、あるんですよねえ。
情けないを通り越して、もはや清々しい!?
目がスベるのはしょっちゅうですが、時々、どんな本でもいくらでも読めるぞ、と思えるときもあります。
理由は特にないように思われるのに。
理由がわかれば、もっと本を楽しめるコツが見つかるかもしれません。
…そういうものでもないのでしょうかね。
日常を暮らしていると、ロクでもないことが多くてやさぐれたくもなりますが、日常を暮らしているからといって、現実ばかりを生きているわけじゃないし、山積みの懸案に途方に暮れながらも、くだらない妄想や、とっておきの思い出に心を持っていかれてることもあるわけで、どんなにテンパっても、余白を意識できるような楽しみ、必ずしも読書じゃなくてもいいので、あると心強いですよねえ。
つまみ Post author
凛さん、コメントありがとうございます。
「何度もでたらめに開いたページを読み返し」たくなる本を見つけることこそ、読書の醍醐味かもなあと思い至りました。
最近、住まいを移動する際、持っていく本を選別しましたが、その基準はそれだった気がします。
そして、堀江敏幸さんの本はまさに自分にとっては「ふと、でたらめにページを開きたくなる」です。
『ココの詩』、高楼方子さん!
でも、読んだことはありませんでした。
読みます!!