部屋着の話
先月のある晩、私はくさくさしており、無駄に夜更かしをしていた。
そしてそのようなとき、人はネット通販サイトをみてしまう。
そのサイトとは、ネット社会が到来する以前から根強い人気をほこるFという通販会社が運営する通販サイトである。
「春風薫るふんわりキャミソールの会」などという茫漠としたイメージを売り物に、じつは届くまで何が来るかわからないという博打のような買い物を消費者に強いるばかりか、頼んだら最後、自ら停止の手続きを行わないかぎり永遠に届き続けるという、およそカタギとは思えない商法をむしろ魅力として打ち出すことに成功している希有な会社だ。
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中学時代、大人びたクラスメイトを通じて、Fが毎年冬に発行していた「サンタブック」というクリスマスカタログを知った私は、その紙面から発せられる「外国っぽいセンス」にやられ、たちまち恋に落ちた。
当時まだ通販で物を買えるような身分ではなかったため、カタログをすみからすみまで眺めた14歳であった。
そしてなんといってもFの通販カタログは写真がかわいく、ZUCCAのデザイナーがてがけるオリジナルブランドを掲載していたりして、ちょっと変わったものが欲しいティーンエイジャーの物欲をほしいままにしていたのである。
しかし届いてみるとがっかりするものも多かった。それでも性懲りもなく頼むのだから、通販の魔力はおそろしい。
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それから30年、時は流れる。まだ買ってるわたしがすごい。
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話を戻すと、そのくさくさした夜、Fのサイトで見つけたのは、一着の部屋着であった。
くるぶし丈まであるストンとしたシルエットの、やわらかそうなトレーナー生地のワンピース。長袖のアッパッパと思ってもらえると正解である。
色は濃いブルーで、胸元には、北欧の谷に住んでる楽しい一家およびその種族の絵柄で、お化けのイラストが描かれている。
紹介写真を見ると、綺麗な外国の少女がニット帽をかぶり、マフラーをまいて靴をはいて写っているので、正確には部屋着ではない。しかし着やすそうだしかわいいしもう44歳だしで、家の中で着たらよいだろう。
値段は5000円くらい。ほんとうは要らない部屋着にかける無駄遣いに、いかにもふさわしい値段設定に思われる。
くさくさした私はオーダーボタンをクリックした。
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そして待つこと半月あまり。言い忘れていたが、この通販会社は、毎月1回素敵な箱が届く、というロマンチックかつ珍妙なシステムを採用しているため、商品は忘れた頃にやってくる。
その頃の私は、くさくさした気持ちも一段落し、平常心を取り戻していた。
平常心を持って届いたワンピースを広げてみると、着やすそうだしかわいいけれど、ゆうたら部屋着だしもう44歳である。
返そう、と私は思った。ゆうたら部屋着だし、もう44歳だもの。
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ところが、返品しに行く時間を見つけるまでの数日間に、ふたたび私の身に、前回を上回るくさくさ事件が出来した。
人間も職場も社会も、この世はうんこである。
こんなとき、私は谷の住人スニフの言葉を思い出す。
「きみもなにもかも、谷底におっこちればいいんだ。」
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厭世観。端的にいうとそのような気持ちで私は先日来うっちゃらかしていた素敵な箱をながめた。
そして箱から件のワンピースを取り出し、広げ、着てみたのである。
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頭からかぶった瞬間、魔法が起きた。
着やすい、やわらかい、あたたかい…。
ふわふわのトレーナー生地は、その厚みから想像するよりずっと軽くて、肩にほとんど重みを感じないほどだ。袖は手先に向けてゆるやかにふくらみ、手首部分ですぼまってあたたかさを逃がさない。裏地にはエルモのような毛が密生しており、肌をやわらかにすべる…どこにもひっかかりや抵抗が発生しない、体が心地よく泳ぐ、この服はなんだ…私を癒しに訪れた神か?
物質は確実に、人を少しだけしあわせにしてくれる。
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以来私は、この部屋着なくば日も夜も明けぬありさまである。着続けていたいがために、休みの日には外に出ない。
まるで『ジェインの毛布』だ。それにわたしのにおいがするし。
いつかこの服も糸くずになって、卒業する日が来るのだろうか。それってわたしがこの世から卒業する日って意味じゃない?
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よく、同じ服ばかり着続けている老人がいる。
誰がなんと言っても脱がない。服が変色し、すりきれ、匂いを発するようになっても脱がない。
私は今、彼らの気持ちがわかる。だって、これは私を守る、皮膚なのだもの。どうして、皮膚が脱げるだろうか。
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このように、目下の悩みは、どのタイミングで意を決してこれを脱ぐかということである。いつかは洗濯しなければならないことくらいわたしにだってわかる。
いつかくるはずの日だった…さけようのないこのときだったんだ…
(『ベルサイユのばら第5巻 オスカルの苦しみの巻』をご参照ください)
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ああ部屋着よ、だれか私がいないあいだにこれを洗って、干して、乾かしてくれないだろうか。
帰ってきた私は、それにすべりこめばよい…。
求めるものはただ、安寧のみ。
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これを書いている今も、もちろん着ている。
明日の私はどうだろうか。
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By はらぷ
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※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
Jane
はらぷさんの書き方が一行一行面白くて心の中でくすくす笑って読んでいたら、「ジェインのもうふ」。あれは私が記憶にある中の人生一番最初の本で、何回も何回も親に読んでもらい自分でも読んだ本です。今でも日本語補習校の図書館に新品状態で見かけますので、永遠のヒット作品なんでしょうね。
部屋着、洗ってもその柔らかさが損なわれないといいですね。
爽子
はらぷさん、こんばんは〜。
いいやーん、めっちゃいいお買い物でしたね。
わたしも、好きなパジャマがなかなか脱げないでいます。
わかるーー!!
はらぷ Post author
Janeさん
こんばんは!
わー、「もーも」の友がいた!
というか、原題 “Jane’s Blanket” だからJaneさんそのものではないですか。
もうふといえば「ライナスのもうふ」がゆうめい(?)ですが、私にとってのもうふはやっぱり『ジェインのもうふ』です。
確かに、今でも日本語版は流通していて、私も職場の蔵書が古くなったので先日買い直しました。
今調べたら、アメリカでもペーパーバック版は買えるみたいですね。
1963年初版かあ。
もーもは永遠なのですね。
そして、本日わたしのもーも(もとい部屋着)、洗濯しました!!
今のところふわふわ感は保たれているようにみえます(まだ乾いてない…)祈!
はらぷ Post author
爽子さん
こんばんは!
いやーん、爽子さんもパジャマ愛着派?
いい具合にくたっとして、肌触りも匂いも、私じゃない要素がない。
脱げませんよ、脱げません。
ほんとうに、くさくさしたあの夜の私に感謝です。
この買い物に悔いなし!!
書いたことでふんぎりが着いたのか、今日意を決して洗濯しました。
でもまだ乾いていないので今日は着られない。悲しみ。
m
はらぷさんの文章、面白すぎます。
良かったですね〜、自分の一部みたいな部屋着が見つかって。
思ったんですけどそろそろ次の、多分色違いが届くんじゃないんでしょうか。
そしたらもう何の心配もなくなるんじゃないかな。
はらぷ Post author
mさん
こんばんは!お返事おそくなりごめんなさいー!
着るものがこんなにも安心感をあたえてくれることがあるとは、ついぞ知りませんでした。
赤ちゃん返りしそうです…。
この部屋着、じつはジャストワンという一点だけの商品だったんです。
最近はカタログの中でジャストワンが増えてきました。これだと博打感なく買うことができます!
でも、色違いがあったとしたら…それはまずいですね…。
そうか、もういっこあったら永遠に着ていられるんだわ…!という気付きを得てしまいました。
月見団子
はらぷさん、
冒頭のお写真にやられました。
自然光の中、スヤスヤ眠りこける猫さんとその毛並み。温かい匂いまで伝わってきそう。
そして、座面のペパーミントグリーン(?)の色合い、椅子の木の色合い。
この椅子はテーブル付きですか?構造がよくわかりません??
それらのこと一切合切含め、ハートを射抜かれました。
この猫さんは、ティーちゃんですか? 違っていたらごめんなさい。
文章、とても素敵でした。。肩の力が抜けるんです。はい。
ありがとうございます。
はらぷ Post author
月見団子さん
わーん、コメントいただいていたのにすみません!
2ヶ月越しのお返事となってしまいました…。
はい、この猫はティーちゃんです!
この椅子は、私がふだん座っているダイニングの椅子なのですが、いつも気付くと取られています(笑)
そして現在、このグリーンのクッション(座布団?)は、ティーちゃんが通院をいやがってちびったためにおしゃかになりました。
構造はというと、後ろの茶色のがテーブルです。
そして椅子の色はじつは白で、テーブルの前に背もたれを左にして横向きになっていまして、そこのティーちゃんがねそべっているという形であります!
ねこがひだまりで寝ている姿って、ほんとうに見ているだけで幸せになります。
そしておおいかぶさって匂いをかぐ衝動を抑えられず、ウザがられています(笑)