個と種のもんだい
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ひとつきに一回しか書かないナマケモノコラムなので、毎回書き始める前に前回の記事を読み返します。(だいたい忘れている。)
すると、前回も前々回も、コロナのことを書いていた。コロナの影響がすごい。
前回の記事が更新されてまもなく、職場の方針も変更されて、閉鎖施設の職員は出勤7割減の交代勤務、と決まった。
ちょうどシフトの関係で休みが続いたところにその決定が下りたので、職場から連絡が来てそのまま、自宅待機となってしまった。
ときどき順番が来て仕事に行く。選書などの中のしごとは変わらずあるし、Webや電話での資料相談は受付けているので、けっこう忙しい。
数日前行ったら、カウンターにシールドが設置されていた。もうすぐ再開できるだろうか。
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不思議なもので、ほぼ自宅待機、となったとたんに、外界の情報がすっぱりと途絶えた。
情報、というのは、もちろん感染者の数だとか、ニュースとしての情報は入ってくるのだけれど、電車に乗ったり、人と話したりといった、生身の体から入る実感というのがなくなると、ほんとうに遮断、という感覚になったのだ。
こわい、というよりは、必要に迫られないかぎりはいつまでも家にいてしまう性格のせいで、1日1回散歩に出よう、などということもしていなかった。
余談だが、ペットの散歩のみ外出が認められていたスペインで、金魚鉢をかかえて歩いていた男性が逮捕されていた。そこは見逃してやってはくれないだろうかと思った。
5月の連休中、文字通り家で過ごし、4、5日ぶりに外に出たら、季節がすっかり入れかわっていることに驚いた。
ナガミヒナゲシや羽衣ジャスミンの盛期は終わり、空気には夏の匂い。道端には、早くもゼニアオイが旺盛に葉をのばして、濃いピンクの花を咲かせている。
ふだん職場への行き帰りなんて、眠くて疲れて半分死体みたいなものだけど、そんなでもきちんと、目も耳も鼻も毛穴も、外の世界を取り込んでいたのだった。
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世界中のにんげんがなりをひそめた結果、ガンジス川がすみわたったり、数十年ぶりに町からヒマラヤが見えたり、海にジュゴンがもどってきたり、町に野生動物がやってきたりしている。
イギリスのある町では、ロックダウンで町にひとがいなくなったので、山から野生の山羊がおりてきて、生け垣を食べたり、塀にのぼって遊んだりしているそうだ。(山羊は高低差が好き)
昔テレビで、人類がいなくなったら、都市がどのくらいあっという間に森にもどるか、という番組を見た記憶があるけれど、たった数週間でこうなるのだから、きっと本当だろう。ちなみに、お察しの通り「未来少年コナン」再放送も見ています。
そのことから、「人類はいなくなったほうがいいんじゃないか」とか、「みんなで力を合わせればなんでもできる」とか、「宇宙船地球号」とか、さまざまな声が聞こえてくるが、そうしたことはこのさい(ここでは)ちょっと脇に置いておいて、この未曾有の事態のなか、いちばん実感したことは、人類77億人、ひとりひとりが息を吸ったり吐いたりして生きているというのは本当だったんだな、ということである。
私たちは、自然や動物界と対立しているのではなく、菌や虫やなんかもふくめた、ぞよめく生態系の一部だったのだ。
だいぶ関わり方が特殊だが。
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先月に出た子どもの本で、『ヒグマ』 竹田津 実/文・写真(アリス館 2020.3)というのがある。
それは知床に住むヒグマの生態を観察し、記録した写真絵本で、その中に、知床に手つかずの自然が残っている理由の一つに、ヒグマと蚊の存在があるにちがいない、と書いてあった。蚊がめちゃくちゃ多いらしい。
でなければ、もっと人間の手が入って開発されていただろうと。
しかしヒグマも蚊も、別に自然環境を守る使命感を持って知床にいるわけではない。ただ息を吸ったり吐いたりして生きている。
また、ヒグマが蟻を食べている写真があり、こんな小さい蟻でヒグマは満足できるのかと思うけれど、胃の中いっぱい蟻だったりすることがある、というようなことが書いてあった。この世に蟻はものすごくたくさんいるということだ。大きなヒグマがおなかいっぱい食べても、いなくならないくらい。
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個であり同時に種であるというのはふしぎなものだ。
ひとりひとりは、生まれて死ぬまでのあいだに、きわめて個人的な行動をとっているに過ぎないのに、無数のそれが集まると、生態系においてある種の役割を担い始める。
今回はからずも自然環境に劇的な改善をもたらすことになった、国家という単位が示した行動規制が、俯瞰で見た場合「個」の活動の範疇にはいるのか、「種」としての行動といえるのか、というのはちょっとわからないのだが、コロナの脅威を目の前に、ひとりひとりの「死にたくないし、死なせたくないし」という思いから生まれた新しい行動様式や習慣が、今後、種としての人類を変容させていくということがあるのだろうか。
とくに、接触によってわたしたちが無意識のうちに得ることができていた、五感の交換や、今までまとわりつかせて平気でいた菌たちの量や。
生存戦略の向かう先が、種の弱体化ってこともあるんだわ、とにわかに思い至って、「あれが人という種の存亡を分ける、ひとつのターニングポイントであったといえます」とかあとで回顧されたりするのかもなあ、と想像した。って、誰にだ。宇宙人かな。
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By はらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
爽子
はらぷさん、こんにちは。
今日は肌寒くて、はおりものが脱げません。
お天気も良くなってきたので、そろそろ庭に出ようかな。
サボりがちな草抜きも、面白いもので、庭の一角がヒルザキツキミソウが「密」
それにしても、ちり紙人形、じょうずー。
わたしも作ってみたいです。
手順が知りたい。是非教えてください。
バロンのママ
はらぷさん
初めまして。猫好き視点から時々読ませて戴いておりました。
今回のコロナ禍が、「人」という種の存亡を左右する分岐点になるやも、というお考えに頷いております。
ちり紙人形、素敵ですね。
Jane
おおこれは自然の中で偶然がつくり上げた一瞬の芸術的映像。空の映り込んだやぶ蚊大発生しそうな、多くの種を養っていそうな、趣ある川。そして人間。これらの写真をつなげているテーマが「種」と「個」。いいですねー。
私も外に出る人間が少なくなって動物がのびのびしているのに気が付きました。でも動物の種により差があるのです。例えば、七面鳥は前も今も傍若無人。リスは相変わらずちょっとした音にも気配にも敏感で隠れる(でも車が少ないので跳ね飛ばされている彼らを見ることが少なくていい)。そして私が驚いたのがウサギ。以前は人間が側を通れば逃げたか彫刻のように固まっていたけれど、今年は何も意に介さないで草を食べ続けるウサギに会いました。彼らは人を怖れよということを本能として知っているのか、種として引き継がれる記憶があるのか、生まれた後に個々で学ぶのか….。遺伝か環境か。お母さんウサギがピーターラビットに言い聞かせてるんじゃないですよね。ついでに例年よりウサギが少ないのですが、暖冬、良さそうで良くなかったんですかね。やっぱり冬眠はたっぷりしないと?
最近、私がイメージするのは茂りすぎてる草むらをざざっとカマで刈っているところ。その雑草の一本一本が、「生かしてくださいお願いー!」って叫んでいるのですがいちいち聞いちゃいられない。時々偶然刈り残しちゃったり、雑草の種類によって根から引き抜けたり引き抜けなかったり。丈高く伸びていたから刈りやすかったり。個としては刈り手を恨みつつ引き抜かれる雑草もあるだろうけど、実は刈り手は「この雑草は花が好きだからあそこに2,3本残しておこう」と種としてはちょっとした手加減で残していたりとか。
ま、うちの庭もそんな感じで、ステイホーム当初草取りしたはずの場所に、取り残していた草やあの時芽を出したばかりで目立たなかった草が、ぐんぐん伸びてきましたよ。
アメちゃん
はらぷさん。こんにちわ。
(山羊は高低差が好き)に笑ってしまいました。
私、学校の理科の授業で動植物の細胞を習ったときに
細胞の構造って太陽系にそっくりだなぁって、ふと思ったんですよ。
なんか、宇宙の中にいる私たちの身体の中にもまた宇宙があるんだなー。ふしぎ〜って。
マクロコスモスとかミクロコスモスって言葉があるらしいんですけど
宇宙って、フラクタル構造になってるっていうか
私たち人間は、地球の上に独立して存在してるんじゃなくて
植物や動物、それこそ虫や菌とともに
地球の細胞として、調和し合い循環してるんでしょうね。
人間の利益のために、たとえば5Gとかリニアとか推し進めようとしてますけど
そういうのは調和のバランスを崩してしまうんじゃないかなと思います…。
免疫学の安保徹先生がおっしゃってるんですけど
もともと人間は身体に菌を持っていて、外から菌がはいってくると
それと調和して免疫力を高めていっているのが
現代人は、菌を悪者にして化学物質で排除するために
逆に外来菌に占領される結果になってるんですって。
はらぷさんがおっしゃるように、あまりにいきすぎた生存戦略は
種の弱体化につながるかもしれませんね。
…といいつつ、人が少なくなった街は静かでよかったなって思ったりもします(笑)。
爽子
草と共生してるわたしの庭の写真です。
はらぷ Post author
爽子さん
わー、こんにちは!
すっかり夏になったかと思っていましたが、本当にこの数日は寒いですね。
わたしなんかストーブつけてしまいましたよ…。
現在、ストーブと扇風機が部屋に共存しています(笑)
ヒルザキツキミソウ、この花、そういう名前だったのか!
道端でよく見かけて、風船みたいでかわいいなーと思っていたのですが、雑草なのか、植えてあるのかいまいちわからず、失敬していいものか(おい)…と思っていたのです。
うちにもそんなかわいい一画がほしい〜。
ちり紙人形、見よう見まねで作ってみましたが、やはり祖父の人形の尋常のなさにはとてもとてもかないませんね。修行が足りませんでした…
構造は、このようになっていますー。
材料:
ちり紙、木綿糸、水のりやボンド
作り方:
①パーツを作る(頭のとこと、胴体の首のとこ(ギャザー)には木綿糸をまいてあります。)
②のりでくっつける、木綿糸でまくなど
③乾いたら色をつける
爽子さんが作る人形見てみたいです!ぜひ〜。
SHOJI
はらぷさん、こんにちは
未来少年コナンをご覧になっているのですね。
あれを見ると、残った人々は、あんがい元気にやってるなあと思うんです。
そういえば風の谷のナウシカも大災禍のあとの話で、希望を残してくれていましたね。
はらぷ Post author
バロンのママさん
こんにちは!はじめまして。
はい、猫多めコラム(笑)
猫好きなかま、うれしいです〜!
うちの庭には、さいきん新たなねこが参入し、しのぎを削っております(薄茶のオス)
人類の歴史って、ウィルスや菌とのたたかいの歴史でもあるなあ、とここにきて見聞きすることが多いのですが、このコロナも、そのひとつとして後世に検証されるのだろうか…と想像をめぐらせてしまいます。
じぶんたちが、大きい歴史の中のどの地点にいるのか、その時代を生きている私たちには知る由もないのですよね。
ちり紙人形、作り方はとてもシンプルなのに、作った人によって全然違うものができるのがおもしろいです。
ぜひお試しください!(とじいさんにかわっておすすめする孫)
はらぷ Post author
Janeさん
こんばんは!
この写真のところ、大きな公園の後ろにある川なんですけれど、見つけたときには「ラピュタ…!!」と興奮してしまいました。
人工物と、それを飲み込む勢いの自然の組み合わせにぞくぞくします。
Janeさんの近所も、動物がのびのび、いいですね。
七面鳥は…野生なんでしょうか…?
そしてウサギたちはそんな短期間にのびのびしてしまっていいのでしょうか(笑)
パイにされますよ…。
うちの庭の野生の訪問者は、猫と鳥以外ですと、タヌキ、ハクビシン、カナヘビ、ヒキガエル等です。
草刈りのイメージ、なんかわかります!
うちの庭もほっとくとジャングル化するので、年に何度かえいやっと雑草とりをするのですが、一網打尽にしてるようで、抜きやすいものをどんどん抜いちゃって、根が深いものをめんどくさがったりして、その結果悲惨な目にあう…。
そしてやっぱり、たまたま花をつけてたり、これ、育つとどうなるんだろう?と思ったものをなんとなくえこひいきしています。
そして、そういうとき、戦争でたまたま兵士の気まぐれで殺されなかった、というような話を思い出すのです。
自分が生殺与奪の権をにぎっている、というおそろしさというか、そういう状況になったら自分も気まぐれに翻弄される側だなあ、という不確かさというか…。
はッなんでこんな話になったんでしょうか!
なぜ雑草とりをするたびにそんな発想が頭に浮かぶのか…自分でもほんとうにどうかと思います。
はらぷ Post author
アメちゃんさん
こんばんは!
山羊は高低差が好き!そして私は山羊が無理すぎるガケに取り付いている画像などを見るのが無性に好きです(笑)
細胞の構造は太陽系に似ている…。なんだか頭のシナプスがチカチカするような刺激をうけました。
教室で、ひとりそんな発見をしている生徒がいることを、理科の先生は知っていただろうか!
たとえば、受精して分裂して胚ができて…という赤ちゃんが生まれる過程は、生物の進化の歴史をなぞるようだと聞いたことがあります。
ひとつひとつの命や細胞のなかで、宇宙創世から終わりまでが繰り返されていると考えたら、果てのない入れ子構造ですね。
去年、放散虫の写真展を見に行ったのですが、0.1ミリくらいの小さなその構造も、本当に不思議なものでした。
地球の細胞、そのとおりですねえ。
人間だけズボッと抜いたら、地球に楽園が戻ってくるのかというと、きっとそう単純ではないのだよなあ。
私たち人間は、科学やテクノロジーによって、ひとりができることより何倍もの力やエネルギーを得てしまえているということは、それを享受する者として、肝に銘じとかなきゃいけないことですね。
この新型コロナで亡くなる人の数が、各国や地域でどうしてこんなに違うのか、タイプが違う菌なのか、はたまた対策なのか環境なのか生活習慣なのか、きっとこれからどんどん明らかになっていくのでしょうけれど、その土地に生きてきた人々が共存してきた菌やウィルスというのが、何か関係するのだろうか…と想像したりしています。
うまく菌も味方に付けて、たくましく生きていけないものだろうか。
あまり掃除をしないとか、お風呂に入らないとかしたらいいだろうか(もうやってる)
はらぷ Post author
SHOJIさん
わー、こんばんは。はじめまして!
未来少年コナン、見ています!(でも第3回見逃した…)
実は子どものころは見たことがなくて、初コナンです。
私の初宮崎アニメはナウシカなのですが、コナンですでに、あの世界観は描かれていたんですねえ。
SHOJIさんのおっしゃるとおり、にんげんって(というかすべての生き物がかもしれませんが)なんだかんだ環境に順応して、そこで喜びとか遊びとかをみつけて生きていくんだなあ、と思います。
しかし今のコロナ禍の中でみると、コナンの両親含め、島に不時着した大人たちがどうしてみんな死んでしまったのか、原因が気になりますね…。
ナウシカやラピュタ同様、コナンのなかでも、海の底に沈む町や、島にめり込んだ宇宙船の中に湧き出る水などの描写に、「自然×人工物」好き、廃墟好きの血がさわいでたまりません!
はらぷ Post author
そして、2月の「部屋着の話」にコメントくださった月見団子さま、先月くださったAЯKOさま、お返事書きましたー!
いつもいつも時を超えた返信となってしまいほんとうに恐縮です。。。
Jane
はらぷさん
これだけ七面鳥がサンクスギビングに食べられているアメリカですが、これら七面鳥は野生です。群れになって歩いてますし鳴き声も結構うるさいです。ギースもよく群れで車を止めて道を横切っています。
うさぎは今年なんだかあやしい病気が流行っているとニュースにありました。地域は違うのですがそのせいで少ないのでしょうか。
スカンクやコヨーテも出ます。
生殺与奪の権を連想されたのはおかしくないですよ。私もそういうつもりで書いたのです。