夏の出来事。
毎年、夏になると死ぬことを考える。自分が死にたいということではなく、父や恩人が6月から8月に亡くなったことを思い出して、死ぬってどういうことだろうと考えてしまう。それは時に、寂寥感を呼び起こしたり、焦燥感となったりするのだけれど、特に僕を引きずり込もうとするようなことはない。それが時々寂しくはある。
僕がまだ小学校3年生くらいのことだろうか。もう幼稚園児ではないから、父にベタベタすることもなくなり、かといって言葉を交わさないほど自我が芽生えているわけでもない、という中途半端な時期に、僕は父から強く抱きしめられた事がある。
確か、7月になったばかり。夏休み前で、テストの成績を見ればかなりひどい成績表をもらってこなくてはならないとわかっていて、毎日を戦々恐々と過ごしていた感覚をはっきりと覚えている。僕はエアコンを付けた涼しい部屋でゴロゴロしていた。そこに電鉄会社に勤めていた父が、夜勤あけで帰ってきた。まだ昼間だけれど、父は明日の仕事が休みなので、昼飯と一緒にビールを飲み、ほんの少し饒舌だった。
僕はそんな父の話を聞きながら、横になってテレビを見ていた。食事を終えた父も、僕の隣で横になった。しばらく一緒に僕たちはテレビを見ていたが、いきなり父が僕に抱きついた。僕は驚いて起き上がろうとしたが、父は僕を背後から抱きしめたまま、ギュッと力を入れた。最初は抗いながら「やめて〜」と叫んでいた僕だが、父が「にげるなよ〜」と言いながら、さらに力を入れた。
最初、僕は骨が折れるのではないかと思った。そのくらい、父は強く僕を抱いた。それは愛おしくて抱いている、という域を超えて、どこかに自分自身が流されそうになるのを阻止するかのような力の入れ方だった。その時、僕はなんとなく、「お父ちゃんは、僕が抱きつかなくなったから、抱きついてるんだな」と思っていた。
まあ、骨が折れることはないだろう、と僕は身体の力を抜き、父もゆっくりと力を抜き、やがて二人して眠ってしまった。そんなことは、あの日だけで、後にも先にもなかった。そして僕は、自分に息子ができたときに、同じように息子を力一杯抱きしめようと思う日が来るのだろうか、とこの夏のことを思い出す度に思ったのだった。
僕に息子が出来るのはそれから25年ほど経ってからだった。そんな息子もすでに成人してしまったが、僕が息子を力一杯抱きしめようと思ったことは今までのところない。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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