人と人の間で誤差を生んでしまう「言葉」だから、会話で負傷する。
こんにちは!カリーナです。
小学生のころ。父母と姉と外食に行った帰りタクシーに乗り、外をじっと見ていました。わたしと姉は年齢が12歳離れているため、もし当時のわたしが8歳なら姉は20歳。夫婦と子ども2人というより、3人の大人と子ども1人といった雰囲気の家族。今でも誰かの道案内に何も考えずについていってボーっと景色を見ているのが一番落ち着くのは、この育ちが影響しているなあと思います。
そんな具合で、タクシーの後部座席に姉と母と座り、外を見ていたとき、ふと「そうか。わたしの『悲しい』は、他の人とは違うかもしれない。だってみんなで『これこれこういうことを、悲しいと言うことに決めましょう」って話し合ったことなんてないもんな」と思ってしんみりしたのです。大げさに表現するなら、子どものわたしが初めて「孤独」を知った瞬間といえるでしょう。
「言葉」が人と人の間で誤差を生んでしまうことは、月亭つまみさんとミカスさんといっしょに続けているPodcast番組「That‘s Dance」でもしばしば感じて、驚くやら、面白いやらです。
一度、こんなことがありました。わたしが「同窓会に行くと、なんとなく期待していたことが裏切られて、うっすらと傷ついて帰ってくる」と言ったことをきっかけに「傷つく」という言葉に対するそれぞれの理解や距離感に話が広がりました。
このとき指摘されて初めて自分がわりによく「傷つく」という言葉を使うこと。その使用法が、「誰だれに傷つけられた」というような使い方より、「なんとなく落ち込んだり、凹んだりしたときの気持ちの状態」を表す使い方が多いことを知りました。「That‘s Dance」で話題に上らなければ、ずっ―――と気づかなかったことです。わたしは、人間関係で生まれる衝突のあれこれを「事故」と受け取るところがあり、「傷つく」は「思わぬ負傷」(かすり傷から少し深めの傷や骨折まで)の痛みについて伝えようとしていたのでした。(10年前に会話にもある。突然の交通事故。という記事を書いていました)。
「傷つく」という言葉ひとつでも、その理解の仕方や使い方は人それぞれ。だとすると、この膨大な言語!!!日本語だけでも膨大なのに、世界にあふれる言語の量たるや!!日々、生み出される「誤差」の」嵐!この瞬間も、各地で事故が起き、負傷者が生まれていることでしょう。(回復を祈ります)
「この人は、この言葉にどんな意味を込めているのだろう」と考えてみることは、翻って自分を知ることにもなりますね。いやあ、いくつになっても発見あり。先週も「That‘s Dance」でいろいろおしゃべりしています。
今週もオバフォーは、コツコツ更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。
りかさん
本当だよー
「言葉」怖ーーーい!
カリーナ Post author
りかさん
ご無沙汰しています!
コメント、うれしいです。
ねえええ。言葉っていろんな顔を持っているよねえ。