「友だちのうちはどこ?」の懐かしさ。
イランの映画監督、アッバス・キアロスタミの代表作である『友だちのうちはどこ?』を久しぶりに見ていると、主人公のお爺ちゃんが路地に座り込んで近所の人と話し込んでいるシーンが印象に残った。
「子どもは厳しくしつけにゃならん。言うことを聞かなけりゃ殴らないとしつけはできん」というお爺ちゃん。近所の人は「その通り」と言いつつ「じゃ、言うことを聞いてたらどうする?」と質問する。すると、お爺ちゃんは「悪いことをしていなくても4日に1回は殴らにゃいかん」と応えるのだ。
今どき、この話がどこまで通じるのかわからない。この1980年代の映画の中でも、殴ってしつける、という話は前時代的な笑い話として語られている。しかし、今や親から殴られたことなんてない、という子どもばかりになった世の中で、殴ってしつけるという話は気のふれた妄言のようにしか聞こえないはずだ。
でも、ほんの数十年前までは親が子どもを殴ることがしつけだったり、学校の先生が子どもに体罰を振るうことが当たり前だったのだ。
そんな時代を生きてきたイランのお爺ちゃんにとっては「4日に1回は殴らないと、子どもがしつけられん」と思うことが普通なのだ。もちろん、それが良いわけじゃない。でも、そんな時代だったことは確かなのだ。
ただ、このしつけ方の唯一のメリットがあると僕は思っている。それは暴力の是非ではなく、シンプルに親が子どもの前に立つ初めての理不尽になれると言うことだ。最近の親は、子どもを怒ってはいけないのだと言う。「怒ってはいけません。叱るのです」という話が書籍でもSNSでもたくさん出てくる。
ちゃんと理由を説明して、子どもに納得させながら言い聞かせるのです、ということらしい。正しい!正しいと思う!きっと正しい!で、でも、正しいロジックは伝えられても、世の中に出た時に一番大事なことが教えられないんじゃないか?という疑問が湧き上がる。それは、理不尽への対応だ。
僕らが子どもの頃、大人は理不尽なものだった。理由もなく怒り、理由もなく黙り込む。なんで?と理由を聞いても、「子どもは黙ってろ!」の一言で黙らされた。理不尽極まりない。けれど、そんな理不尽なことばかりの世の中で、親が最初の理不尽として立ちはだかることがなければ、誰が子どもたちに理不尽を教えるのだろう。
国会答弁を聞いていても、近所の井戸端会議を聞いていても、LINEのグループ会話を眺めても、理不尽なことしかない。そんな中に突然放り込まれて、メンタルをやられてしまう子どもは意外に多い。
さて、だからといって、親が好き勝手にしても良いとは思わない。でも、親がいろんなものを飲み込みながら、子どもに気をつかう必要はないのかもしれない。まあ、優しくしてやろう、と思いつつ、たまには「あ、いまのはちょっと理不尽だったな」くらいのやり取りがあってもいいんじゃないだろうか。というお話しでした。暴力ふるっても良いとかそういう話ではないので、そこは誤解のないようにお願いします。
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植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
ことぶ
わかりますねぇ。私が子供の頃は意味も分からず理不尽に怒られました。
自分が親になったら絶対に理不尽に怒るのはやめようと本気で思ってました。
残念ながら親にはなれなかったので実践できませんてしたが。
uematsu Post author
ことぶさん
僕も理不尽に怒るのは絶対やめよう!と思っていました。
そう思っているだけで、自分の親よりはそこそこ優しく接していたと思います(笑)。
でも、時には勢いで怒って、後から「ごめんね」なんて言ったことも。
まあ、そんな感じでいいんじゃないかと。