「やらなかった未来」は確認できないから。ルーティンは身を助く、と信じて。
こんにちは、カリーナです。
思えば、わたしの毎日は、「さして、したくないこと」によって成り立っています。朝いちばんのスーの散歩も、行ったら行ったで気持ちがいいし、運動にもなるし、義務を果たした充実感が得られるけれども、「行きたいですかー?」と聞かれたら「代わってくれてもいいですよー」と答えるでしょう。
仕事は、言うまでもなく。「何もしなくてお金もらえるなら、そっちがいいよー」と答えたい。
そのほかに、この月曜のオバフォーの記事。個人ブログのほうは、できるだけ水曜更新したいと思っているため、週に2回は何がしか、こんなふうに、単調な暮らしから絞り出して「さしてしたくない」という気持ちをおして文章を書いています。
そのほかに家事。家が散らかっていると落ち着かないし、犬の抜け毛がすごいので毎日、片付けて掃除します。ごはんも作ります。これも、「楽しいですかー?」と聞かれると「代わってくれてもいいよー!」と答えます。
仕事の締め切りのような与えられたルーティンと、自分が好きで決めたルーティン、義務のように思っているルーティンに従って生活しているわけです。日々。
そんなことを考えながら、今日もスーと1時間強、散歩しました。
いつも会うダンディなおじいさんに今日も会いました。このおじいさんは、スーを指して「この犬が、ここらで一番散歩している!」と言ってくれた人ですが、私たちの散歩量がわかるということは、このおじいさん(80代半ばと思います)も大変良く歩いているということ。あちこちで会います。
そして、たくさん歩いた後、おじいさんは最後の〆として自身が住むマンション隣の公園で体操をするのです。体操といってもご本人が思うほどには、どこも曲がっていません。前屈も後屈も側屈も、傍から見れば「やってるつもり」の範囲です。
ウォーキングする足取りもややおぼつかなくなっていて「この人も年をとったなあ」と思います。
しかし、思い返すと、このおじいさんと最初に会ったのは、もう約6年前。ダンディで上品なおじいさんが、ダンディで上品な犬(ミニチュアシュナイザー)を連れて散歩していました。その後、犬が亡くなり、おじいさんの朝夕の日課は、単独ウォーキングとなったのです。
もう、6年か。そうか6年になるのか。
年をとるのは、あたりまえ。その頃生まれた赤ちゃんは、小学生になってるぞ。
もし、この人が歩いてなかったら?この「思ったほどどこも曲がっていない体操」を続けてなかったら?
わたしは、毎度、この結論に至るのですが、「やらなかった未来」としての「現在」は、決して確認できない。もしかしたら、病気になって寝たきりになっているかもしれません。もちろん、そうじゃないかもしれません。
年をとるということは、あたりまえだけど、衰えること。だから、日々、繰り返すルーティンの先に「さして変わらない」「やっぱり年をとった」「やらなくてもよかった」と本人も周囲も思いがちな「冴えない状態」が待っていることが多いのです。
それでも、やっていなかったら?その道を選んでいなかったら?
おじいさんは歩き、わたしはスーと歩く。
少しずつ、老いながらも。ルーティンは身を助く、はずだ。
okosama
カリーナさん
ひとの用事ばかりで時間を取られると、しばらく自律的にぶらぶら暮らしたくなる気持ち、分かる!
ご本人には単調な暮らしでも、読んでる側には非日常。例えば、ご自分でささっとスウィーツを作るなど私には一大イベントですよ。
さて、スーちゃんの散歩のように運動に関わる他律的ルーティンがあるのは、うらやましい限りです。
運動しない人は、まず外に出ることが難しい。
さらに自律的に運動をルーティン化するのは、かなり時間と努力が要ります。
コロナ禍で家に閉じこもっていたら検診で引っかかりました。
この一年意識して歩き、スクワットを続けてます。最近は軽い筋トレも始めました。
まだルーティンとは言えませんが、少し改善してきたので、引き続き頑張ろうと思います。
カリーナさんがおっしゃるように、ルーティンは身を助く、です。
カリーナ Post author
okosamaさん
確かに運動には他律的ルーティンがあるといいですよね!
私も毎日渋々歩きながら、「しかし、この距離、一人だと絶対歩かん」と思ってますもん。
okosamaさんもそうだったと思うのですが、
犬がいると犬自身が退屈していないので
その楽しそうな気持ちに引っ張られて結構歩けるんですよねえ。
健診でひっかかったんですか!?
筋トレまで偉い!貯筋が大事な年代ですもんねえ。
私もストレッチやっていますが、ちっとも柔らかくならず
体の可動域は狭くなるばかりです。
でも、ルーティンを信じてやるしかないかー(笑)!
Jane
昨日の朝乗っていたバスが、たまたま信号待ちでとまっていた場所から、私と同年代のアジア人の女性が歩道に立っているのが見えました。別のバスを待っているのではないかと思うのだけれど、歩道にお尻を向けながら、体操をしている。あれはラジオ体操じゃないかしら。と思ってずーっと(結構長い信号待ちで)観察していたのですが、似てはいるもののまったく同じではない。それもなんか本気入れてないような、てれんてれんとした伸ばし切ってない動き。公衆の面前という照れもあるのか、もしかしてダンディなおじいさんのようにご本人はちゃんとやっているつもりなのか分かりませんが、ちょっとした待ち時間を健康増進のために使わんとする、ご本人の普段の心がけを感じました。
うちの向かいの家には老夫婦が住んでいますが、彼らを外で見るのは、二人で散歩している時か落ち葉を掃いている時だけです。散歩は毎日です。たまに私も散歩ですれ違い挨拶すると、おじいさんは微笑んで頷いてくれ、無反応のおばあさんは我が道を行くというふうに、時々木に掴まって立ち止まっているおじいさんを後ろに残して、振り返るでもなくスタスタと先を歩いていきます。おばあさんの方が少し体力ありそう。掃き掃除もおばあさんが一人で一日中少しずつ掃いていますが、たまにおじいさんが震えながら横で収集袋を広げに出てきています。おばあさん先導で、散歩と掃き掃除をルーティンとして大事にしているのが伝わってきます。
かくいう私は、夕食を作るのとそれ以上に後片付けが嫌で嫌で、作り始める前に座り込んで「夕食つくるのが嫌です」という言葉でスマホ検索をしていたりして。インフルエンザとコロナ予防接種を同時にやって具合悪いのに、なんで家族はのほほんと私がご飯を作るのを待ってるんだろうと呪った…、いつかこの家事ができたことを懐かしく思う日が来るとしても、今は嫌だ…。
カリーナ Post author
janeさん
「おじいさんが震えながら横で収集袋を広げに出てきて」の一文に胸が震えました(笑)
おじいさん、やっとの思いで自分もやっていることを示しているのでしょうか。
老夫婦というものも、これ、どちらかの老いが先に進行してしまうと
毎日が老々介護の日々になってしまい、
人生というものは、つくづく安逸を許してくれないなあと思います。
うちの近所のウォーキング老カップルは、
ほとんどがおじいさん主体です。
おじいさんが脳血管障害などで少し不自由になったか、
運動不足を指摘されたかで「おい、歩くぞ」となった感じがにじみます。
おばあさんはおそらく、ウォーキングするなら一人か
もしくは女友だちと…と思っていそう(笑)
いやいや、夫婦も家族も気遣いが絶えませんね。
コロナとインフルエンザの予防接種、大変でしたね!
私の友人は、今回初めてコロナの予防接種で高熱が出たと言っていました。
あなどれません、こっちも。
お大事に!