わからない
早いもので、仕事を始めてもう4ヶ月。業務には慣れたが、相変わらず英語には苦戦している。
始めてすぐの、「学生の早口がまったくもってちんぷんかんぷん」期はわりと早々に脱したが、それはリスニングが上達したというよりも、ある程度業務を覚えたので、相手の言ってきそうなことがだいたい予測できるようになり、そのためキャッチできる単語が増えたというだけに過ぎない。
わたしが働くことになった「インフォメーションアドバイザー」というしごとは、簡単にいうと「大学図書館のカウンタースタッフ」なのだが、そこは大学全体のインフォメーションデスクもかねていて、図書館関連以外のさまざまな質問も舞い込んでくる。たとえば、留学生なんだけれど夏休みにはフルタイムで働けるのか、とか、下宿を出ることになったんだけど、鍵はどこで返せばいいの?とか、大学のシステムにログインできないとか、授業のタイムテーブルがちゃんと表示されないんだけどとか、お金を払ったのに自動販売機からお菓子が落ちてこない!(しょっちゅうある)とか。
わかることは答えるし、他の部署に問い合わせたほうがいいことだったら、このチームにメールしな、何号棟のオフィスに行きな、と采配する。いわゆるトリアージというやつだ。
最初のうちは、大学のしくみやサービスがまったくわからず、したがって(?)学生やスタッフが何を言っているのかも聞き取れず毎回撃沈していた。隣で同僚が答えているのを聞いていて、なんとなくわかりかけたことを、帰ってから大学のHPを検索して、あーこれのこと言ってたのか、と思う、ということの繰り返しである。
日本語でだったら、話を聞いて、一般常識でもってある程度どの部署の管轄か、どんなキーワードで検索したらいいのか見当をつけ、質問で的を絞って確認し…というようなこと、元来そういうの得意なほうだったはずなんだけれど、それがまったく機能しない。「work entitlement letter」と言われて、あービザ関連ね、ってピンと…こないわ!
合わせていうと、検索してページがヒットしたところで、答えを待ってる相手がいる前でそのページを流し読みして、必要な情報を得てその場で答えるなんて、神技でしかない。それをふつうにこなして、そのうえ相手の言葉尻から、こういうサービスも必要かな、などと推測できていた日本語環境下でのわたしはもしかして天才だったのではないか。
大学のHPは、それ自体が巨大な情報サービスボックスで、正しいページにさえ辿り着ければ、他の部署が行なっているサービスに関してもかなりの知識が手に入る。それを読み込んで、または撃沈するたびに同僚に教えてもらって、次に似たような質問が来たら、あっあれのことか、とピンとくるようにしておく、というのが唯一できることだった。全部を覚えるのはとうてい不可能だけれど、あのページにあったな、とさえうっすらと覚えていれば、そこに戻ることはできる(ときもある)。名付けて「轍(わだち)作戦」!
学生時代についぞしたことのない、予習復習というやつだ。齢49にして、記憶との戦いが待ち受けていようとは。
つら…
さいわいにして、窓口で聞かれることは往々にして似通っていて、場数をこなしているうちに、だんだん「@*?%&$#」だったのが「Multi-Factor Authentication」(なんかログインするときのダブル認証システム)とか「attendance monitoring」(学生はアプリで授業の出欠を報告しているようだ)とかいった、「(HPで)見たことある単語」として聞こえるようになってきた。どうも第二言語下において、わたしの脳は「知ってるもの」しかピックアップしないようである。
ということは、予期せぬことに遭遇した場合、いつでも「@*?%&$#」が待ち受けているということであって、ちょっと前になるが、カウンターで「Where’s @*?%&$#?」と聞かれてまったくわからず、4回くらい聞き返して結局隣の同僚に助けてもらった。なんだったのかというと「Water fountain」(あの、公園とかにある水飲むやつ)と言っていたらしい。まじですか。わかった瞬間3人で爆笑したが、どうしてあれが「ウォーターファウンテン」になるのか今もってわからない。2音節くらいしかなかったけど!?
あと、透明クリアファイルのことを「plastic wallet」というのも最初はまったく聞き取れなかったし、極め付けは、「修正液」が「Tipp-Ex」だったことで、これには心底おどろいた。
わたしの場合、英語圏での学業経験がないので、学校ならではの語彙がだいぶん貧弱なのだった。文房具の名称もそうだし、たとえば「単位」とか「在籍」とか。
それからもうひとつやっかいなのが、英語使用時における「聞いたことを端から忘れてしまう」現象である。いつものことだろと言わないでほしい。
たとえばカウンターにBiomedical ScienceコースのWendyという先生が来て、なんとかかんとかいうイベントのために212号室を使う予定なんだけど鍵が開かないの、と言ったとして、それを聞いたときはちゃんと理解したはずなのに、じゃあセキュリティに連絡して開けてもらうね、と電話をかける間に、すべての固有名詞を忘れている。えーと、コース名なんだっけ、部屋番号は?、イベントの名称なんだった?
「部屋の鍵が開かない」という「状況」は覚えていられるのだが、正確にリピートしなくてはいけない「名称」や「数」は、指からこぼれる砂のように抜け落ちてしまう。これが日本語で、「生物医学部」の「新井さん」が「にーいちにごうしつ」の鍵が必要と言っている、だったら忘れないのに。
どうもわたしは、といって他の人もそうなのかもしれないけれど、耳で聞いたことを音としてでなく、書かれた文字や映像という視覚情報として認識しているらしい。「鍵が開かない」という情報は、聞いて理解した瞬間に状況が目に浮かぶので、それをそのまま覚えていられる、でも、「Biomedical Science」や「room two one two」は、脳内でパッとその音を文字情報に変換できない、またはその文字が、意味をともなったイメージと連結していない、どうもそういうことのようである。この場合たぶん「Wendy」先生の名前は覚えていられるだろう、というのは、すぐに「ピーターパンとウェンディ」のウェンディかあ、と思って、脳内の黒板に「ウエンディ(妖精の画像付き)」と大書きされるからである。
漢字という形態は、この手の記憶システムにたいへん適していると思う。英語を母国語として育った人もまた、英単語を綴りとしてでなく、ひとつの映像的なかたまりとして捉えているのかなあ。
数字についていえば、いつまでたっても英語で数を数えるのがほんとうに苦手だ。知っての通り図書館の本には分類番号が振ってあって、たとえば「792.8083/FLY」とかだったりするのだが、職場でも本を探すときや、配架作業をするときなど、気がつけば「ななきゅうにいてんはちぜろはちさん」と頭の中でつぶやいている。
英語と日本語は、あまりにも表記方法が違いすぎるので、それが頭を切り替えるのにはわりと都合がいい、と思う。が、数字の場合、脳が自動的に慣れ親しんだ日本語の読み方で読み始めてしまうのだ。町中で思いがけず日本語を耳にすると、聞こうとしていなくても吸い付くみたいに言葉が頭に送り込まれてくるのと同じである。母国語おそるべし。
同じようなことを台湾に行ったときにも経験した。台湾語(北京語)も日本語も漢字を共有しているので、看板などを見て意味がわかることも多い。その反面、日本語での漢字の読みに引っ張られて、なかなか台湾での読み方が覚えられない!ということがあったのだった。
同じアルファベットを共有し、似たような綴りの単語も多い英語やフランス語、ドイツ語など、ヨーロッパ語圏の複数言語を話せる人は、どうやって切り分けているのだろう。
脳の処理方法ってほんとうにふしぎだ。
しごとには慣れてきた今、目下の目標は、同僚たちの雑談が理解できるようになることである。自分に向けて話してくれているときはまだしも、他の人同士がおしゃべりしているときなど、近くにいてもちんぷんかんぷんなことがよくある。雑談でそう難しい語彙が飛び交うこともないはずなので、発音や言い回しなんだろなあ。そしてとりわけマネージャーのひとりのJ(めっちゃ早口)と、リヴァプール訛りのJ(めっちゃいいやつ)の英語が聞き取れない!
わからないことをわからないままに会話を続ける能力をちゃくちゃくと向上させつつあるわたしだが、頭上に英語字幕が出てほしいと願う日々である。
いま一番読みたい本はこれ↑
By はらぷ