(14)死者からの手紙
父が面会に行ってから2か月弱。看護師さんから、「あと1週間ぐらいだと思われます」との連絡があった。もう一度父の面会を手配し、「あとは死んでからの連絡でいいです」と答えた。いちいち呼び出されたりしたら面倒だ。
ある夜、浴槽にいる大きな虫が死にそうな夢を見た。
またある夜、祖母が運転する車で(祖母は運転ができなかったのに)母を連れて伊勢神宮に行く夢を見た(神道とか何の興味もないのに)。
これはもう本当にそろそろだと確信する。
面会に行った父から、「意識はないけど手をしっかり握ったから、まだもう少しなんじゃないか」と報告があったが、その日の23時半、病院から「亡くなりました」と連絡があった。
よっしゃーーーー!!!!
待 ち に 待 っ た こ の と き が
キターーーーーーーー!!!!
大きくガッツポーズ。
(父の面会を待っていたのかも、と思うが、キモいので頭の中で消す。)
「いらっしゃいますか?」「いいですー」
「では医師が診断書を書きます。葬儀屋さんは決めていますか?」「特にないです~」
「ではうちが取引しているところで」「はーい」
「葬儀屋さんから連絡があるのでお待ちください」「はーい。お世話になりましたー」
すぐに葬儀屋から電話がある。
「これからご遺体を引き取りに行きますが、その後打ち合わせをしませんか?」
「もう真夜中で、パジャマなので、明日でお願いしまーす」
(葬儀屋さんは深夜まで大変だ)
いやー、やっといなくなってくれたかー、せいせいするわー。
緊急搬送されてからちょうど半年、医者の診立てよりは早かったなー。やったー。
これからいろんな手続きが待っているんだろう、ドキドキー。
いろいろな考えが浮かんで、興奮して眠れない。
翌日、葬儀屋に行くと、広い部屋に通された。奥に棺がある。「お顔をご覧になってください」と言われ、のぞきこむ。ヒゲが!! やばい自分、鼻の下脱毛しよう。(いつも体毛の話)
あ、私、転院したときに誓った「死ぬまで顔を見ない」を実現できたんじゃない? 心の中で、これまたガッツポーズをする。
葬儀屋に言われるがままに、葬式のランクを選んでいく。葬式と言っても、母の弟妹は出歩けない状態なので、人を呼んだりはせず火葬場で火葬するだけ。それでも葬儀屋を通さないと成り立たない仕組みらしい。
「骨壺はこれとこれと…」「安いのでいいです」「お花は…」「簡単でいいです」の繰り返しで、一番安くて32万。高いな、もっと調べておけばよかったか? まあいいや、調べる手間暇ももったいない。
車の中でのBGMは、母親の葬式に出なかったというソンドハイムの曲にし、「焼く」ということでジンギスカンを食べて帰った。
葬儀屋から、「病院から渡されました」と母の私物類を渡されていた。また玄関先であけてみる。
読むものを送ってくれと言われて私が送ったものは、送った状態の包みのままだ。住所録や便せん、封筒も送ったが、結局、手紙はほとんど書いていない模様。色鉛筆と塗り絵がある。私は送っていないので、誰かからもらったのだろうか。退屈なときに(人によってはリハビリのために?)手指を動かすためにやるものなのだろう。しかしまったく塗っていない。
書きかけのメモがいくつかあった。よくしてもらった人として、介護士さん、看護師さんたちの名前が書いてある。具合が悪くなって思うように動けず、誰かにかまってほしい、自分はこんなはずではない、そういうときに、仕事とはいえ優しく接してくれる人がいたのだ。母はいわゆるブルーカラーの人をあれだけ見下していた自分を省みただろうか。
私宛の書きかけの手紙のようなものがあった。お礼などは無い。もちろんお詫びも無い。期待など一切していないが、予定調和なお話だったらこういうときお礼とかお詫びとか書くのかもなあ、と思って苦笑する。
内容はほとんど意味不明なのだが、「この病院にいることは家族三人で相談して決めたことなのだから仕方がない」というようなことが書いてあるように読める。
えっ…? 私が一人で、病院に言われるがままに流されて決めた(というか、決まった)ことですが? あなたの意志はどこにもないのですが? 大体「家族三人」という考え方が私からしたら、崩壊している。しかし母は、「家族三人で」決めたということにしたいらしかった。字は大きく、よれよれで、かなりつらそうだ。
母はまた思い込みで、「自分の意志が尊重されないようなことはあるはずがない」という設定で話をしているのだろうか。おおいにありうる。半分は現実を理解していても、もう半分の頭が受け入れられず、「そういうこと」にしたいのだ。母のよくある認知のゆがみだ。
それとも、ひょっとして、母の意向を全く考慮しなかった私への嫌味、批難なのだろうか?
急に怖くなった。死を前にした人間の文字が私に取りついてきそうで怖い。因果応報、祟られそうな気がする。
自分が同じことになったら。貴重品も持ち込めないような場所。肺が苦しくて酸素と麻薬を投入し続けられて寝たきり。いつの間にか、決められた医療のベルトコンベアに乗せられていて、降りられない。私にも、今の生活がデフォルトではない日が必ず来る。すでに今、昔ほどは食べられないし、手指も目もそこそこ不便。ゆるやかにそこに向かっている。
私も同じ目にあうんじゃないか。いや、普通にしてたら絶対にそうなる。それに抗いたかったら、よほど事前に準備しておくか、よほど仲が良くて意思疎通ができて、しかも辣腕の子どもを育てるしかない。
事前に準備しなかった母が悪いのだ。それは事実。仲が悪いのは母のせいだ。それも事実。だから自業自得だ。そうわかっていても、「母に祟られて、私も死ぬときに同じようにとても不便で不本意な状況になる」という恐怖が襲う。
母の最期を快適にしようとしなかっただけではない。私は、大学も、就職先も、配偶者も、子どもがいないことも、何もかも、母の望み通りにはしなかった。幼いときからずっと、母の希望を叶えなかった。急に、子どものときの恐怖がこみ上げてくる。怒られる。不機嫌になって口をきいてもらえない。家の外に出される。世界が真っ暗になる。
自分宛の手紙は「捨てる」という行為もしたくなかった。破くとか燃やすとか、直接手に取って何かする行為を一切したくなかった。
あなたの希望を叶えなかったのは、あなたの勝手な思い込みに従わなかっただけ。私の人生はあなたのものじゃない。私は正当に行動した。この復讐も正当なもの。だから手紙は受け取りません。
そう言って、本人の目の前で突き返したかった。
匿名
悲痛
めもり
この連載が始まったとき「え?プリ子さんて閉活の人やん?」と意外な気持ちになり、それからゴリゴリに熟読しています。
実家を見限って15年、私もだいぶアレな境遇だったので、プリ子さんの心情が分かり過ぎて苦しくなることもあります。
両親ともに80超えですが、彼らの愛玩子(妹)が近くにいるし、何があっても私は知らん、一切関わりません。
でも、薄々気付いてもいます。
奴らがこの世を去っても、嫌な記憶がきれいさっぱり消える訳じゃない・・
死んでもなお、苦しかった過去・感情は自分の中に残り続けるんだ・・と
まったく難儀なことですよ。
どうすればいいんでしょうね?
あ、なんだか自分の愚痴になってすみません。
プリ子さん、次回の記事も待っています。
エール
プリコさん、わかります。わかると言うと齟齬があるかもしれませんが、十二分に想像できます。自分の感情や思考に重ね合わせられます。
親が死んだ時はやっと物理的にいなくなったと無感情に思うのみでした。この境地が腑に落ちる方はどのくらいいるでしょう。伝わるように説明する力もないので近い人にも言いません。結構幸せにやってるように見えるかもしれないし、実際そうなのですが、化け物と対峙してきた気持ち悪さや理不尽さを昇華させて笑い飛ばす境地にはいまだ至れません。めもりさんのコメントにも共感を覚えます。
同じような経験をした方がいろんな空の下で元気に頑張っていると思うと励まされます。エールを送りたいです。
プリ子 Post author
匿名さん、ありがとうございます、
書いてる最中は、自分では悲痛なつもりではなかったのですが、後から読み返すと胸のあたりがギリギリしてきました。。
プリ子 Post author
めもりさん、ゴリゴリに熟読していただいてありがとうございます!!
妹さんがいらっしゃるんですね、兄弟姉妹がいる場合、一人っ子とはまた違った憤懣がありそうです、お疲れ様です…… > < そう、そうなんですよ、死んでも、過去は消えずに、こちらの心の中に残っていますよね。母が死んだとき、こいつだけ楽になりやがった、ずるい、とも思いました。本当に難儀です。
プリ子 Post author
エールさん、ありがとうございますーー!!
ほんとに、物理的にいなくなってもそれで終わりではないのがつらいです。
コメントくださって、仲間がいるとわかって、私もうれしいです。子どもの頃は、家の外に出されるなんて世の中の人全員が経験してると思っていたのですが、そうではないと知ったときの驚きたるや。
最近、距離を感じていた同僚が、ふとした拍子に、親に暗いところに閉じ込められて嫌だった、と話してくれて、急に親しみを持ちました。仲間はそれなりにいるのかもしれないです。でも、ぎょっとされてしまうこともあるから、なかなか口には出せないんですよね。