昔、勤めた会社のこと。
小さなデザイン会社に勤めていたことがあった。
20代半ばで映画の仕事から逃げ出して、大きな情報出版会社で2年ほどアルバイトをしてから、小さな広告会社に潜り込んだ。大きな情報出版会社の下請けでクリエイティブをやっている会社だった。驚くほど給与が安く、完全週休2日が当たり前になっていた時代に、まだ隔週の土曜日に半日出勤があった。残業はつかず、ボーナスも1ヶ月分だけ。なかなか厳しい会社だった。
ただ、ひとついいところは、働いている社員たち(当時は15人ほどいたと思う)が、とても穏やかでいい人たちだったということ。厳しい会社だったから、大人しくて従順な人じゃないと勤まらないというのが実情だったとは思うけれど、社内の雰囲気は悪くなかった。
そんな会社にちょうど1年だけいた。僕は従順な人じゃなかったので、1年が限界だった。その後、自分で事務所を開いたときには、あの会社みたいな場所にはしないぞ、と心に誓っていた。けれど、10年、20年と会社を続けていくうちに、自分の会社もなかなか思うようにいかず、ときどき、若い頃に勤めた、その小さなデザイン会社のことを思い出すことがあった。思い出すたびに、思うことはあったのだけれど、近頃は、あの会社はあの会社で身の丈にあった経営をしていたんだと思うようになっていた。
自分たちに逆らうような社員は採用しない。給与を上げてくれという社員がいたら、苦笑いしながら、「君の先輩も、これだけで我慢してくれてるんだよ」と答える。出社土曜日のお昼は、社長がちょっと豪華なランチを社員みんなにおごって、ガス抜きをする。思い返すと、自分の会社の末期も似たようなことをしていたなあ、と思う。僕はそんな状況であることが、なんだかとても申し訳なくて、心の中で手を合わせていたのだけれど、あの小さなデザイン会社の幹部たちは明るく笑いながらそれをやっていた。あそこで、笑われると下は開き直って働くか、やめるしかない。
僕の場合は、社員たちにこちらの動揺がばれて、なめられ、逆にこちらが振り回されるというハメになる。いやはや、会社なんてやるもんじゃない。僕には向いてない、と気づくまでに何年もかかってしまった。フリーランスになって数年経つけれど、よくも社長なんてやっていたものだと本気で思う。本当に周囲は迷惑だっただろう。
そんなことを考えて、身震いしてしまった極寒の夜に、ふと「あの小さなデザイン会社はまだあるんだろうか」と思ってネット検索してみた。あった。オシャレなホームページが出てきた。大阪の南森町から少し離れた場所に移転していたけれど、社名も事業内容も一緒で、規模も同じくらいだった。最近のネット検索は勝手に「これも見てみなよ」といろいろ教えてくれる。そこには、給与が安いとか、上の考えが古臭いとか、転職向けの情報もいろいろ出てきて、ようするに僕がお世話になった30年以上前とほぼ変わらない状況も教えてくれる。なるほど、そのままでしっかりと生き残っているということは、それはそれで経営手腕があるということだろう。
それならと、ホームページの社長の名前を見て驚いた。僕がいたころの先輩の名前があった。確か僕よりも2年ほど前に、入社した人で、とても大人しい人だった。ポップなデザインが苦手で、硬めのデザインが得意な人だった。企業のパンフレットなどを作らせると、だいたいコンペに落ちるのだが、官公庁向けのポスターなどをやらせると、やたらと強かった。その人が社長になっていた。
なるほどなあ、僕はひとりで妙に納得しながら、そのホームページをスクロールした。すると、社長になった先輩が社員たちに囲まれている写真が出てきた。10数名の社員の半分くらいは女性で、みんな若い。若い社員たちが笑顔で立っている真ん中にかつての先輩はいて、30数年分、しっかりと老け込んで、照れくさそうに笑っている。
そう言えば、一緒に働いている1年間の間に、一度だけその先輩と仕事をしたことがある、と思い出した。その時、先輩はその写真と同じような照れくさそうな顔で、僕のコピーを読み、「おもしろいコピーだね」と言ってくれたのだった。先輩があんまり照れくさそうなので、言われた僕まで恥ずかしくなって赤面してしまったことを思い出した。
あの時と同じ照れくさそうな笑顔の先輩の写真を見て、僕は「強いなあ」と思った。いや、先輩が強そうに見えたわけではないけれど、こんな世の中で、小さなデザイン会社を親族でもなく引き継いで、同じ事業を継続して、若い社員たちを食わせて、その真ん中で照れくさそうに笑っているだけで、強い人なんだろうなと、思ってしまったのだった。
もう会うことはないと思うし、先輩の会社のホームページを見ることもないかもしれない。けれど、なんだか、それほど親しくなかったかつての先輩のいまを知ることができてよかった。そして、かつて僕のコピーを「おもしろいコピーだね」と言ってくれたことを思い出せてよかった。先輩ほどではないが、僕もほんの少し強くなれる気がする。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。