カフェ小景・宇宙にない三角形のこと。
仕事をしようといつもの喫茶店のいつもの席に座る。いつも通りに、ミルクなしのブラックコーヒーがスプーンなしで届けられる。先日、九州の夜の世界で活躍している社長とオンライン取材をしたのだが、社長の熱い語りにやられたのか、ノートパソコンが熱暴走して死んでしまい、今日は買ったばかりの真っさらなノートパソコンを取り出す。
ピカピカのノートパソコンは、なぜかデスクトップの写真が宇宙空間になっていて、なんだかこれから壮大な仕事を始めるように思われないかと、周囲を見回してしまう。すると、急に「宇宙には三角形がないんですよ」とドスのきいた声が聞こえてくる。どういうこと?と僕は真っ正面の3人組を見る。奥の席に座った昭和の政治家秘書のような風貌のおっちゃんが、まるで田中角栄ばりにしゃがれた声で、目の前の兄ちゃんを睨め付けながら、話している。言葉づかいは丁寧なのだが、かなり圧は強い。
で、圧をかけられているのは、35歳の介護施設の事務をしている男性。なぜ、そんなに詳細がわかるのかというと、この後、角栄が兄ちゃんに「そんで、あなたはどんなお仕事をしてるの?」「おいくつなの?」と聞いたからだ。
どうやら、この兄ちゃんがどうも人生に迷っているらしい。そこで、元教師で、数年前まで教育委員会で仕事をしていた角栄に教えを乞うための席らしい。セッティングしたらしいおばさまは、途中から、外に出て煙草を吸ったり、電話をしたりで、わざと席をはずす時間を作っている。一応、紹介されてしまったから話をしてはいるけれど、角栄は明らかに目の前の兄ちゃんを鬱陶しそうにしている。時折、兄ちゃんの目の前に人差し指を突き出しながら、「甘いんですよ。そういうところが」とか、「もっとちゃんと考えないと」と、ちょっといらつきながら言う。言われると、兄ちゃんは激しくうなずきながら「わかります。自分でも甘いんじゃないかと思うんです」とか、「ですよね。もっとちゃんと考えなきゃですよね」とか、オウム返しに答える。それがかんに障るのか、というか、普通はかんに障るけれど、角栄がちょっと眉間に皺を寄せる。
そんな話の流れのなかで、「宇宙には三角形はないんですよ」という話が出てきたのだ。始まりは兄ちゃんが「多少無理をしてでも、いまの介護施設で頑張らないといけないと思うんです」というところからだ。
「35歳にもなるのに、彼女もいないし、仕事も長続きしたいんです」
「うん。それはあなたが世の中をなめているからだよ」
角栄は、諭すように言う。でもまあ、角栄もたぶん年齢的には80歳手前くらいで、ちょっと我慢が効かない。いらついている。
「ですよね。それは以前、よく言われていました。いまは、だいぶマシになりました」
「いや、なってない。まだ、世の中をなめてるよ」
「そうですよね。なめてますよね。それは○○さんから見た感じですか?」
「いや、もう世界中、誰が見てもですよ」
「そうですよね。世界中が見てますもんね」
「いや、誰もあなたのことなんて見てないけどね」
「え?そうなんですか。誰かがきっと見ているって思ってました」
こんなとんちんかんなやり取りをしているけれど、この兄ちゃんは角栄を馬鹿にしているわけではない。たぶん。
「宇宙に三角形はあると思いますか?」
ここで、角栄は言ったのである。
「三角形ですか?」
兄ちゃんは唐突な質問に、困った顔になる。
「えっと、そうですね。ないと思います」
すると角栄は膝を打つ。
「そうだ。ないんだ。宇宙に三角形の物体なんかない。三角形の星もない。なぜかわかりますか」
「えっと、なぜですか?」
「必要ないからです。宇宙には三角形は必要ない。必要あれば、そこに三角形はあります」
「なるほど」
「三角形がないのは、宇宙が必要としていなからです」
「そうか。必要ならあるんですよね。三角形」
「そうです。つまり、あなたはいま、この世の中の三角形なんです」
「はい。なるほど」
「必要ないんです。世の中に」
「あ、そうか。必要ないんですね」
「そう。だから、どうすればいいと思いますか?」
突然、角栄が優しい口調でたずねる。
「わかりません」
兄ちゃんが答える。
「丸くなればいいんです。周りの人たちの言うことをちゃんと聞いて、アドバイスを受け入れて」
「丸くなればいいのか」
「そうです。丸くなるんです」
なんじゃそりゃ!と僕も思うし、読んでいる人もそう思うはず。
こんな話をする角栄も角栄だし、聞いてる兄ちゃんも兄ちゃんだけれど、こんな話で場がまとまっていくという奇跡のようなことが目の前で起こっている。
たぶん、角栄は昔女にもてたと思う。客観的に他人として聞いていると、馬鹿じゃねえのか、と思うけれど、もっと角栄が若い頃に、脂ぎっていたときに、指を差されながら言われたら、「そうか、宇宙に三角はないものね」なんてうなずいてしまう人がいっぱいいたような気がする。
結局、角栄の言うことをメモを取り取り聞いていた兄ちゃんも、何か深く納得した様子で、これまでのようにオウム返しに聞くこともなく、にこやかにうなずきながら、ペンを置き、角栄に深くお辞儀をしたのである。
いやあ、すごい勝負を見た気がする。僕なら、この兄ちゃんに勝てる気はしないけれど、ここは角栄に軍配が上がった。もちろん、このあと、兄ちゃんが人の言うことを聞くことはないだろうし、丸くなることもないだろうけれど。
とりあえず、ピカピカのノートパソコンのデスクトップの写真は、パワーがいっぱいもらえそうな屋久杉に変えておいた。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。