時は止まらない。繰り返しには終わりが来る。当たり前だけどね。
こんにちは、カリーナです。
土曜日、Tさんのお葬式に行ってきました。Tさんは、柴犬の飼い主さんです。元々は、夫がマンションの管理組合を通じて知り合い、時々、男性たち数人で会っていました。夫が一番年下で、他の人たちは夫より一回り上。友だちというより、先輩を慕う感じでつきあっていたと思います。
夫が死んでからも、Tさんとは、よく散歩で会いました。スーは、Tさんの姿を見かけると一目散に走り、気づいてほしくて後ろにぴたっとついて歩きます。Tさんは少しだけ耳が遠いらしくて、なかなか気づいてくれません。
ようやく気付くと「あああ、ごめん、ごめん」と言い、「ちょっと待ってよ」と声をかけながら両手の手袋をきちんとはずしてポケットから携帯用灰皿に入った小さなジャーキーを2本取り出してきちんと揃え、「はい、どうぞ」と差し出してくれました。その間、スーはお座りしながら首を伸ばすだけ伸ばしてそわそわと待っています。
ジャーキーをあげるとTさんは「可愛いなあ」と毎回言って頭を撫でようとするのですが、スーは身をひるがえして撫でさせません。そこで、わたしがすかさず「もーー!スー!すみません!ほんとに愛想なしで。スー!」と言うまでがお約束。スーはTさんの娘さんの「おねえさん」(おやつはくれない)には甘えて体中どこでも触らせるのに、お父さんには触らせないのです。
そうやってわたしとスーは一年を通しておやつをもらい続け、クリスマスの日に「メリークリスマス!いつもおやつ分けてくれてありがとう」と書いたカードと一緒にちょっといいおやつをポストに入れるようにしていました。去年のクリスマスもそうしました。
そんなやりとりがずっと続くと思っていたのです。Tさんが2月に入院しても、すぐに退院できるだろうと聞いていました。でも、あのいつも通りの「可愛いなあ」が最後になってしまった。
早朝、Tさんはコンビニの前に柴犬と一緒に座ってホットコーヒーを飲んでいました。いつもおしゃれで穏やかで、一人でいるのが似合う人だった。十数年前に亡くした奥さんととても仲がよかったらしく、酔うとしばしば「早く向こうに行きたい」と言っていたと昨日のお葬式で聞きました。
あんなに元気そうに見えたのに、今回が3度目のがんだったそうです。わたしの夫の葬儀のとき、他の人の倍のお香典をくださったのは、早くに配偶者を亡くした身の上を重ねてくださったのか。
人にも犬にも礼儀正しいジェントルマンでした。一度だけ、「〇〇を知っていますか」と尋ねられてしばらく話したのだけど、なんだったか忘れてしまったな。
まだ暗い冬の朝、少し弾むように上下に体を揺らして歩くダウンジャケット姿のお父さんを見つけて喜んでいたのは、スーだけじゃなかった。わたしもだった。
時はなぜ、止まってくれないんだろう。
お葬式の列席者のなかで、わたしはなんと一番若く、久しぶりに「年下として」振る舞わせてもらいました。「年下」は、昔とった杵柄。得意です。家に帰ったとき、なんだか気持ちが少し伸び伸びしているように感じたのは、「年下」として振る舞ったからでした。
でも、知っています。それは、この年上の人たちが、そんなふうに振る舞わせてくれたからだということを。そして、そんな場はこれから先、どんどん消えてなくなることを。
こじんまりとしたいいお葬式でした。Tさんは、司馬遼太郎の小説が好きだったそうです。カバーのかかっていない文庫本が遺影のそばにありました。薄茶色の見慣れた文庫本。あの世への旅に連れていくのにいいな、文庫本、と思いました。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。