「繰り返そう。可能な限り、きちんと繰り返そう」と心のなかでつぶやく。
こんにちは、カリーナです。
ご存知の方はご存知でしょうが、一人で部屋にいると「自分が作る動き」以外、ないんですよ。一人といっても、うちの場合、犬のスーがいるんですが、彼は、家のなかではほぼ完全に置物です。ソファから床、床からベランダへ、ごくたまに移動するのみ。しかも、まったくといっていいほど声は発しません。インターフォンが鳴ろうと、雷が鳴ろうとシーン。
「一人暮らし」とは、「自分の動きだけが部屋に変化を起こす」こと。部屋だけでなく、自分の行動もそうですね。「買い物、行こうか」とか「おなか、すいたな」とか、「あ、今、これ、テレビでやってる」なんて話しかけられることがないわけですから、自分以外の誰かの働きかけで自分の行動がかわることはありません。「ちっ、面倒くさいな」「あああ、仕方ない。出かけるか」なんて心の動きもないわけです。シーン。
自分が立てる音だけがある。自分が選び、動き出した「音」と「振動」で成り立つ家。その他は、シーン。
「ひとりぼっち」ってそういうことなんですね。「孤独」というと大仰だけど、簡単にいうと、そういうこと。
動かない。変わらない。良くいえば、「風のない日に静かに光る湖面」みたいに凪いでいる。
まあ、そんな静寂のなかに、わたしとスーは暮らしているわけです。
ここは、禅寺?
いや、禅のことなんで知らないんで雰囲気だけで言ってますけど。
わたしが椅子から立ち上がったときの音、わたしが台所へ行く足音、わたしがお茶をいれる音。わたしだけが立てた音で部屋の空気がかすかに動く。それでも朝には朝の勢いが、午後には午後のけだるさが、夕方には夕方の静化に整っていく音があるのが不思議。生きているんだなあ、わたし。
いま、日曜の午後5時を過ぎました。そろそろスーと散歩に行く時間です。スーの足運びは優雅なんですよ。よくもまあ4本の脚がこんがらがることなくスムーズにリズミカルに動くなあと見惚れます。尻尾を揺らしていそいそと歩く姿を見ていると、「ずっと続きますように!」と思います。でも、同じように、これまでの人生で何度かそう思ったけれど必ず終わりが来たので、この願いがかなわないものわかってる。だから、ぐっと息を吸って「繰り返そう。可能な限り、きちんと繰り返そう」と心のなかでつぶやくのです。
繰り返しましょう。可能な限り、きちんと繰り返しましょう。スーとの散歩も。わたしのいまの生活も。
今日は、「教えて!にゃまの先生 聞きたくても聞けなかったお金のこと」が更新されています。ぜひ、お読みください。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てくださいね。待ってまーす。