ホームで泣いているあいだに、地下鉄は行く
朝夕は、少しだけれど涼しい風が吹くようになりましたね、と挨拶をしたことが間違いだったかのように、その翌日は風がぴたりと止んだ。昼間に上がった気温は夕方近くになっても下がらず、わずかに熱中症を疑うようなだるさに襲われた。
このまま外を歩いていると危ないかもしれないと思い、近くにあった地下鉄の入口に潜り込む。直射日光に当たらない方がいいだろう、と判断して、そのまま地下鉄に乗ろうと改札を抜けて、ホームへと入った。しかし、駅の構内は地下鉄がホームに出入りする度に、熱風が交差するような状況で、思わずベンチに座り込んだ。
いったん、ベンチに座ると、ちょうど背後から箱状のエアコンの風が当たり、少し生きた心地がする。ベンチの横にあった自動販売機で清涼飲料水を買って、しばらくの間、ベンチに座っていることにした。どのくらいの時間が経ったのだろうか。熱中症かも、というだるさはなくなり、汗も引き、ぼんやりとした気持ちがはっきりとしてきた。
たぶん、2、3本の地下鉄が行き来するのを見ていたような気がするので、おそらく20分か30分くらい。東京のいいところは、こんなところで地下鉄にも乗らずにじっとしていても、誰も声をかけてこないし不審な顔をされることもない。
そんなことを考えていると、なんとなく笑ってしまったのだが、ふいに笑った後で、僕は泣いてしまったのだった。理由はわからない。いや、不安なことや悔しいこと、そして、怖いことはたくさんある。いくつになっても、自分の人生をうまく生きることができないのはなぜなんだろうと、自分自身でも思うし、周囲にいる人たちからも笑われる始末だから、泣きそうなことはたくさんある。
たくさんあるけれど、いまここで泣かなければいけない理由はなにもない。さっきまで、「熱中症かな」と思い、ベンチに座っていただけなのだから。なのに、僕は一人地下鉄のホームで泣いていたのだった。声も出さずに、ただ涙が流れていく。少し前に、映画を教えてくれた恩師が「歳をとって涙もろくなるのは、共感力が強くなるからではない。ただの感情失禁だよ」と言われて笑ったことがある。これも、その感情失禁だろうか。だとしたら、何の前触れもなく、何の思い当たることもなく、ただただ泣けるのは、かなりの重症なのかもしれない。
しかし、感情失禁というわりには、ちゃんと悲しいのだ。何が悲しいのかはわからないのだけれど、ちゃんと悲しい。ああ、これはあれだ。サトウハチローだ。悲しくて悲しくて とてもやりきれないのだ。そうか。あれか。この限りない むなしさの救いはないだろうか、と僕は地下鉄のホームで、知らず知らず考えていたのか。
深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とても やりきれない
このもえたぎる 苦しさは明日もつづくのか
なるほど、サトウハチローがもう、僕のこの気持ちを歌ってくれていたのか。そして、僕にとって、この地下鉄のホームが、深い森のみどりなのか。そう思うと、なんだかまた涙がこみ上げてきた。周囲の人にばれないように、とりあえず僕は本を読んでいるふりをした。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。