Posted on 2026年3月23日 by カリーナ
憧れの「びんとし」(敏捷な年寄り)は、やみくもな断捨離はしていない。
こんにちは、カリーナです。
「断捨離」ということばが流行語大賞に選ばれたのは、2010年なんだとか。「終活」ということばは、2009年の「週刊朝日」の連載記事から生まれ、2012年に流行語大賞トップ10入りして定着したのだそうです。
つまり、年とともに「できるだけ身軽に」「モノを減らして」「できれば死後、家族に迷惑がかからないように」「モノだけでなく、日常の家事や人間関係も整理」したほうがいいという考え方は、今からおよそ15年前に生まれたものだったのです。
わたしが、50代を迎えるかどうかのとき。
意識してなかったけど、どっぷりと「断捨離」「終活」カルチャーを全身に浴びながら、60代を迎えたことになるんですねえ。断捨離&終活世代といってもいいんじゃなかろうか。
そしていま、64歳。
最近でも「〇〇を減らしたら快適になった」「〇〇を手放したら楽になった」系の記事はしばしば目にします。
物が多すぎれば処分するほうがいいし、無理に無理を重ねて家事や仕事をしているならやめたほうがいいのは、言うまでもありません。そこにはまったく異論なし。
でも、時々、こうも思うようになりました。
減らして、減らして、手放した先に待つものは「何もしない」なのではないかと。
これだけ「いつまでも歩けるように」「ボケないように」「最後まで元気でいられるように」とみんな一生懸命になってるのに、そんなに手放していいのか。足腰の強さと記憶力だけは維持して!?そんなことできる!?
「これまでと同じ家事を!その家事で自分に負荷をかけて!」とか、「手放すな。手放すことは心の筋トレ放棄。ボケてもいいのかい?」なんて論法があってもいいのではなかろうか。
年をとって一人暮らしになったら、皿と茶碗が一組あればいい、とか。
いいんですよ。いいんです。その清々しさもわかります。「足るを知る」美学とでもいいましょうか。
でも、自分が年とともに思うのは、「あっという間に面倒くさくなる。そして、いったん面倒くさくなると、その面倒くささを乗り越えるのは、不可能に近いぐらい困難である」ということなんですよ。
極論すれば、家族10人分の食事を準備しつづけている人は、「面倒くささ」を日常的に克服している。毎日、家じゅうの拭き掃除をしている人は、「面倒くささ」を克服している。
いや、10人の家族はそれぞれ巣立ったり、亡くなったりするでしょうから、それだけの料理を作り続けることはできないし、その必要もまったくありませんが、こういう感じの「負荷」、案外大事なんじゃないでしょうか。
ここでも触れたことがあり、ポッドキャストでも「びんとし」(敏捷な年寄りの意味。最高の憧れ)の代表として感嘆した人形作家の粟辻早苗さん(93歳)の近況が、「天然生活」に載ってました。
そしたら、「(ひとりで暮らす今も)それぞれの料理に適した鍋を使えば、つくりやすく、器やクロスを工夫すれば簡単な料理も見映えがします」と答えておられて、かなりの数の鍋を持っておられるのだろうと察しました。(というか写真を拝見しても一目瞭然でした)
たくさんの道具を使いこなす、たくさんの人とやりとりする…など、この「たくさん」という「量をさばく」こともまた、肉体だけでなく精神的な筋肉の強さと柔らかさを要求します。
断捨離も終活も悪くないけれど、「あらゆる複雑さ、繁忙さ、量の多さのなかに身を置き、そこに秩序を与えることを日々、面倒がらずにやり続ける生き方もいい」、というか、それってすごい。「びんとし」の敏捷さの秘密は、これらの面倒さを面倒と思わない「筋トレ的生活」にあるのではないかと思ったのでした。
そうはいっても面倒だけどね。いろいろと。
粟辻さんの生活が紹介されていた「天然生活」と今月発売された粟辻さんの本です↓
今週もオバフォーはコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。













































































