どの道も「面倒くさい」を乗り越えてこそ。エロもまた。
昨日、長編アニメからの引退を発表された宮崎駿さんが、NHKの「プロフェッショナルの流儀」のなかで、絵コンテを描きながら「面倒くさい」「ああ、面倒くさい」「面倒くさい」と漏らしつづけるシーン。その「面倒くさい」に驚くやら、納得するやら、感動するやらで、ずっとそのことを考えています。
ひとつは、宮崎さんでも面倒くさいんだ!と知ったこと。
もうひとつは、ものすごく「面倒くさい」ことを「面倒くさい」と声に出しながら、つづける人の姿を初めて見たこと。
いま、このとき、この瞬間に、時間と労力のかかるほうを選ぶか、かからないほうを選ぶか。
小さな選択を何度も何度も何度も繰り返している。そのたびに「面倒だなあ」とうんざりしながらも「面倒くさい」ほうを選びつづける。それってすごくないですか。自分のこととして考えるとゾッとします。
どんな仕事でも、すぐれている人は、「面倒くさいほう」を自然に選んでいるんだと思います。「これ、やる必要あります?やってもやらなくてもあんまり変わんないと思いますけど」と特段、効率性を考え抜いたわけでもなく簡単に提案する人がいますが、そういう「一見、結果が同じように見える」解決策に対して、わたしが、いつも「あ、あれ?同じなのかな?」とかすかに感じていた違和感のナゾも解けました。その言葉に従って面倒くさくないほうを選んだ瞬間、描いていた完成像から一歩遠のいてしまっていたんですね。
「面倒くさい」とのつきあい方、何か、いろいろな根幹を握っている気がします。
話は変わりますが、松尾スズキさんの人生に座右の銘はいらないという人生相談本のなかに「色気ってなんですか。年齢的にも、いまだに色気がないと、このまま直で『おばさん』になるのかと怖いです」という質問が載っています。
その質問に対しての松尾さんの答えが、「エロいことを、いっぱい考えていますか。内側にエロスがたまってないと、外側に漏れ出ないということじゃないでしょうか。たぶん、色っぽい人は
四六時中エロいことを考えているに違いありません。とにかく、これから1週間、エロに集中してください」というものでした。
あたまのなかをエロでパンパンになるまで満たせ、ということです。漏れでるまで満たせと。肌の露出とか、プロポーションとか、持って生まれたセクシーさとか、そんなことの前に満たせと。頭を。
とことん、エロで。24時間。
どうでしょうか。ここにも「面倒くさい」と思うか否かの岐路が立ち現れませんか。
すべての道は、「面倒くさい」を乗り越えてこそ、か。
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今週から月曜日に、もう一つのコンテンツが加わりました!
「帰ってきたゾロメ女の逆襲」を連載中の月亭つまみさんの「連載図書館ゴロ合わせ小説」。
以下は、Cometさんが書いた紹介文です。
→→→毎週、月曜と木曜日更新です!「帰って来たゾロメ女の逆襲 場外乱闘編 連載図書館ゴロ合わせ小説 その1」。
★カリーナの他の記事はこちらをどうぞ。
爽子
人生相談を読むのが、無責任だけどすきです。
人生に座右の銘はいらない、読んでみます。
頭がパンパンになるまでエロで満たす!そういうのって、ある種サバイバルレースみたいですね。
具体的にどんなことするんだろう。
結構、脳が疲労しそうです。
効率重視で近道ばかりの作業では、たしかにいい仕事は残せないと思います。
しかも、あえて面倒くさいことを選ぶというよりは、自然に選んでいる、選び続けていることが大切なんだなあと思いました。
めんどくさいこと、時々無性にやりたくなります。
ただ、やり通すことができてません。
目が老眼が入ってきてるのに、今一番したいのが刺繍なんです。雑なわたしに似合わないことに、ものすごく惹かれます。
年をとっても、楽しめる手仕事、見つからないかなあ。
アメちゃん
こんばんわ。
宮崎監督が、「面倒くさい」といいつつ止めないのは
作家としてのプライドなのかもしれません。
「こっちのほうがラクだしー」とか
「手ぇぬいてもわからへんやろ」なんていう思考は、まず持ってないし
持ってたとしても、そーゆーのは自分自身許せないでしょうね。
まったく個人的趣味ですが
スマートフォンでさくさく検索してる男の人より
本屋で調べ物をしてる男の人の方が、色気を感じます。
あとー。
もし私が男だったらーー
掃除機かけてる嫁より
固くしぼった雑巾(日本手ぬぐいだとなお良し)で床そうじしてる嫁に
色気かんじるだろーなーと思います。