ペットロスながら、「50代から何をするか?」について考えています。
先週の火曜日に飼っていた犬が死んだので、近所の人が何人か家を訪ねてくれました。3時間以上も話し込んでいく人もいて少し疲れたけれど、「犬の死」という「ほどよい悲しみ」が人の心を開くんだなあと新しい発見もしました。人間の死は、その後の生活におよぼす影響も大きいし、やるべきことも多くて、心を開いて語りあうゆとりは、すぐには生まれませんもんね。
それに比べて犬の死は、慈しみや悲しみの感情に満たされるので、やさしい気持ちで会話が弾むのかもしれません。
娘が、これまでのアルバムや家族3人の過去の携帯電話などから写真をすべてとりだし、犬だけのアルバムを作りました。できあがったアルバムのページを繰ると3歳のときから17歳になった現在までの娘と私たち夫婦、友人たち、そして犬が映っています。
ガーッと夢中で子育てをしている私自身と幼い娘と若い犬。
私には、中年期ならではの一見、緩慢なときが流れ、
娘には幼児から大人への急激な成長のときが流れ、
犬には、誕生から死までの一生のときが流れています。
14年という時の流れは、
それぞれにとって意味も重みもまったく違ったともいえるし、
目に見えるか否かの違いがあるだけで
同じ重みをもって流れているようにも思えます。
まだ今は、亡くなった犬に未練たらたらなので、
このアルバムを何度も何度も見ては、
「世界で一番かわいい!こんなやさしい顔、見たことない!」
と涙声を出すわけですが、
どこかで「わたしの子育て期は終わったんだな」とも思っています。
子どもと犬をバタバタと育てた時期は、明らかに終わりました。
この先にあるのは、「なにをする期」なんでしょね。
52歳からの約15年。
いずれにしろ、大きなことができるわけじゃなく
今の延長線上にしかないわけですが、
これまで「学生期22年」「演劇期15年(←演劇やっていたんです)」「子育て期15年」ときたので
そろそろいい加減に納得のいく「仕事期」にしたいとも思います。
これからを「なに期」にするのかは、
それこそオリジナリティというか、底力というか、
そういうものが試されるんでしょうね。
根性なしなりに、じっくりと取り組みたいと思います。
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nao
私もカリーナ部長と同い年で、2年前セイキセイインコを亡くして
昨年息子が短大入学して子育て期は終わりました。
春から新しい仕事に就いたので10年がんばるつもりです。
経験積んだらね、友人とアタシ達のデイケアセンター作るんだもん。
終末期に向かっていると言えばそうなんでしょうけど
それにしては長いし
衰えてきているけど、何かまだまだ元気だし!
カリーナ Post author
naoさん
7月のコメントに今頃、申し訳ない。
ブログにもいつも素敵なコメントありがとう。
いつも胸にしみ、確かな励みになっています。
春から新しい仕事なんですね。
10年という単位は、正解だと思います。
何ごとも10年。わたしもそう思っているんですよ。がんばれ。