過去に出会う年ごろか。ブログで「すれ違う恋人」みたいになりました。
わたしは、大学卒業後から30代半ばまで劇団を主宰していました。いわゆる小劇場です。
もう2カ月ほど前になりますが、わたしの個人ブログに「あなたは、劇団●●の●●さんではありませんか!?何年もブログを読んでいて『そうなんじゃないか、そうなんじゃないか』と思ってきたけど、今回、やっぱり、そうだ!と感じることがあり、思いきって連絡をしています!」というメールがきました。
わあ!そのとおり、わたしは劇団●●の●●さんだし、短期間ではありましたが劇団員だった彼女のことも覚えているので「そうです。Uちゃん、懐かしい!」と思い出を書きつづり、メールをくれたことに感謝し、また会おう!と書きました。ところが、その後、返事はありません。
ブログにもコメントも入れてくれていたのですが、わたしは、メールを優先して返事をしてしまい、彼女は、その後、「違っていたかも!」と早合点したようで、さらに日常的にフリーメールをあまり使っていないのでしょう。わたしのメールは、彼女のメールボックスに入ったまま、膨大な宣伝メールに埋もれているような気がします。
すれ違う恋人みたいじゃない?
何が言いたいかというと、やりとりってわりと簡単にすれちがう、ということです。
もうひとつ、ブログを通じて再会できてよかったなあと思いました(ちゃんとした再会にはなっていないけども。まあ、いずれ会えるだろう)。このところ、電車でばったり劇団時代の後輩に出会ったり、電話をもらったり、このようにメールをもらうことが続いています。みんな、わたしよりずっと年下ですが、過去が懐かしくなる時期なんですかね。その人たちの記憶のなかに、わたしが「それほど悪くないもの」として保存されていることを知り、かなり、ほっとしています。もちろん、「あんなヤツ、サイテーだ」と思っている人もいるでしょうし、「そんなヤツ、いたっけ?」って人はもっと大勢いるでしょうけどね。
「過去の自分」をどんなふうに覚えていてくれるかは、自分ではコントロールできません。自分が思いもしない言葉を強烈に覚えていてくれたり、何の悪意もない行動を恨まれていたり…。
20年以上の年月を隔てて劇団時代の後輩と再会したおかげで自分の「劇団主宰時代」に対するイメージが、挫折と後悔一色から少しずつ変わりつつあるのを感じています。自分だけでは変えられないものが、他の人との出会いで変わる。幸せなことです。
しかし、演劇夢中時代は悩みと焦りに満ちていましたが、いったん、離れると、それは、一瞬にして遠ざかり、悩むことも焦ることもできない無縁な存在になりました。自分がそれを手にしているときは、大きな喜びや愛着とともに悩みや焦りや苦しみも同時に味わうのだ、いうことを痛切に学びました。
「何か」で悩んでいるとき、少なくともその「何か」を手にしているのです。無縁のものについて悩むことなんてできないもんね。わたしはいつも「手にしているから悩むんだよ」って自分に言うようにしています。これだけでもほんとに気分が変わりますよ。
今日は、春分の日。おやすみにも読みにきてくれてありがとうございます。うららかな日、「カレー記念日」などどうぞ。一首、ひねりませんか。