「放題」の幸せは、器のサイズがきまっていてこそか。
こんにちは!カリーナです。
朝、犬の散歩から帰ったらストレッチ的なことを15分ぐらいやるのですが、過去に少し習ったヨガやラジオ体操や雑誌やネットで見た情報の寄せ集めなので、「やらないより、やるほうがまし」というレベル。その自覚があるので、月額418円で500誌以上読み放題の楽天マガジンで健康系雑誌(日経Healthなど)の特集に「腰痛」や「膝痛」などの文字を見つけると、「ああ、これだ、これだ!こういうのを探していた」と熱心に読んで写真やイラストのポーズを目に焼きつけようとします。
でも、そのときからすでに知っているのです。どれだけしっかりと焼き付けようと、朝、いざ、やる段階になったら、すべておぼろげになっていることを。んじゃ、プリントアウトでもしとけよと思うけど、それも面倒でしない。タブレットでもう一度、確認するのも面倒…。スマホを見ながらやるのも老眼でよく見えなくてイヤ…というわけで、わたしの脳は、ありとあらゆる有益情報に「やる気のスイッチ」を押してもらいながらも、火がついては消え、再びついては消え、ちゃんと着火して情熱の炎になる前にことごとく消えてしまいます。そしてまた、明日も「やらないより、やるほうがまし」なストレッチを続けるのです。
世の中には、ありとあらゆるサブスクリプション(一定金額・使い放題)サービスがあり、家にいながらにしてありとあらゆる映像、雑誌、音楽を楽しめるけれど、そんなには見られないものですな。家事をしていたり、ダラダラしていたり、眠たくなったり…。そもそも「自分が何を見たいのか」と考えることが、案外難しい。何を見たいのかが、ある程度、わかっていないと膨大なオススメを見ながら、目が泳ぐ。テレビのように「見たい見たくないに関わらず、流れているものを見るしかない」がいかに楽だったか!あてがいぶちの幸せ!「面白くないねえ、面白くない」と文句を言いながら、「選択肢の少なさ」という楽園の暮らしを享受していたのですね。
ああ、しかし、もう、そんなテレビでは満足できないのだ!
見放題、読み放題、聞き放題のサービスというのは、「あれもこれも見よう」と思わず、「見たいものが見つかる可能性が高い。しかも複数」ぐらいに欲を抑えたほうがいいんでしょうね。
スーパーの詰め放題も、袋のサイズが決まっている上に、にんじんだけ、じゃがいもだけ、きゅうりだけ、お菓子だけ、という具合に詰めるものも決まってるからこそ、存分に「放題」できるのであって、「スーパーのもの全部、持っていけるだけ持ってけ。袋のサイズも問わない。何ならトラックで乗り付けてよし!」ってなったら、もう、その手配で疲労困憊するもんな。
欲望は、器のサイズをあらかじめ決めておいたほうがいいのか。
オバフォーは、今週もコツコツと更新します。時間のあるときに読みにきてくださいねー。カレー記念日、今週も「わかるー」短歌が日替わりで登場します。投稿もお待ちしています!
Jane
私も、コロナ前まで通っていたヨガスタジオから、いつでもどこでも授業を、ということで、そこの先生達のビデオレッスンを月額いくらで見放題(ビデオは常時新しいものが追加されていく)という広告が来て、心動かされます。もうそのスクールに何年も通っているので、色々なスタイルでやる色々な先生がいるけれど、図書館などで借りるDVDのヨガ先生よりは親近感もあり、やり方にも慣れています。でもその、ライブレッスンの1.5回分くらいの月額のビデオレッスン…(ズームレッスンは対面と同じ値段)、自分のヨガレベルとフィットしているクラスだけに絞ると(それも見てみないと分からなかったり)、限られてくると思います。まあ、お金払っているってことで、やらなきゃって動機にはなるだろうけれども、自分の怠惰さを考えると申し込む気にはなりません。