うちの「マンション自治会殿の12人」、人間味あふれる。
こんにちは!カリーナです。
大規模マンションの自治会総会直前準備奮闘中のため、連日、この話ですみません。金曜日のポッドキャスト録音中にも新自治会長から電話をもらい、翌朝9時にももらい、「も、もしかして、わたしのことが好きなのだろうか」と勘ぐりそうになっていたところ、「僕ももらいましたよ。朝8時に」「あ。僕ももらいました。8時半かな」と副会長。単なる早起きの電話魔さんだったのでした。
いや、そんなことはいいんですが、わたしは、仕事の会議より、こういう地元の会議が好き。興味が尽きない。基本的に「上司不在。だれも、だれかの指示にも従う義務はなし」という集団の無駄だらけの会議って観察の仕方によっては、本当に面白い。
災害のあとなど、こういう、てんでばらばらのなかから人々の共通の利益をすくいとり、感情的共感を得て、全体をまとめあげていく「人間味あふれる猛獣使い」のようなリーダーが生まれるんでしょうねえ。
とにかく、人間ってこうよねえ、というしみじみとした発見の宝庫です。
昨日も会議だったのですが、たとえば、ある担当の人が、全体の説明をするじゃないですか。そうすると一人ひとりが「自分の担当住戸の状況」を報告しはじめる。「あそこがこうだ」「ここはこうですよ」「わたしのところはこうです」という具合に。それらの報告の共通点は、「答えがないところ」。担当の人の説明の延長線上にあるようで、脇に逸れている。つまり、脱線です。
「もー、その話はいいだろー」と思わないでもない、というか、はっきりと思うけれど、少し離れて見ると、「人間って子どものときから、ずっと変わらないんだ」としみじみするんです。
その構図は、わたしも含めてみんな老けているだけで、保育士さんに口々に話しかける園児や先生に口々に主張する小学生…と基本的に変わりません。
みんな、これまで分別のある顔をして、おとうさんとか、おかあさんとか、保護者の方々とか、〇〇社の営業の○○とか、そんなことをしてきたけど、心のなかに、こんなに「ねえねえ。わたしの話を聞いてよキッズ」を抱えていたのかと驚く。
ここがコミュニケーションの原点だな、と思うのです。プレゼンとか、ディスカッションとか、ディベートとかのずっとずーーーーっと手前に存在する「伝達」の原点。
「わたしを見て」「わたしの話を聞いて」という欲求を、極々小さな「自分のもっているものや情報」を手に主張する。この本能に近い衝動は、脱線を繰り返すことによって「生産性」や「効率性」を易々と超えていきます。しかも、大人になっているので「そういうことだから、何もできない」という根拠を強化もするんだなあ。狡猾なの。人間って、本質的に!!
まあ、こういう見方をするっていうことは、わたしも、そんな人間の一人ということですが、「面白がる」ことで、その場が、あまりギスギスしない程度の貢献はしていると思う。
「まなざし」や「表情」には、「発言」と同じくらいの力があるので、基本、ニコニコと座っています。
人は、やっぱり感情の生きものなんだよねえ。すんごい勉強になる。
オバフォーは、今週もコツコツと更新します。来週からは、新連載もスタートしますよー。
そして今日のプリ子さんの記事が素敵すぎるので、ぜひ見てほしい。→ヴィンテージスカーフのワンピース
Jane
菜の花の黄色ってエネルギーがいっぱい溢れている感じですね。土から立ちのぼるぬるい蒸気とか、蜂の羽音とか、色々なものが蘇ってきます。青い空との対比もいいし、灰色の空も地から照らしてくれる。