すべてが猛烈なスピードで過去になる。暴風雨の中に立って。
オバフォーのお盆休みの間、自分が担当する月曜の更新が2回なくなって楽だ、楽だと思っていた9日の16時半。洗濯物を畳んでいたら、病院から夫の急変を知らせる電話が入りました。そこから怒涛の時を過ごしました。
すでにその電話が入ったときには、夫は事切れていたと思われ、別れはどこかバタバタとしたものでした。コロナウイルス感染予防のため長時間病室にいることもできず、沈痛な面持ちの看護師さんは、「このあと、ご遺体をきれいにして霊安室に移動していただきますが、本日中に搬送先を決めてください」と言いました。
映画やドラマや小説で知っていた「葬儀をめぐるドタバタ」が始まったのだな、と思いました。
夫が倒れて3年11カ月。心のどこかで準備していたはずなのに、葬儀社を探すことも何もしていませんでした。明日も今日のように電車を乗り継いでこの街にやってきて病院の自動ドアを開けて手のひらに消毒液を受けて入っていくだろう、そんな気でいました。
思えば、何もかもがそうです。今は亡き父母と長崎で過ごした時間も、娘が成人するまでの子育て期も、夫と出会ってから今までの時間も、すべてが「しばらくの間」にすぎなかったのです。なのに、それを「ずっと続く」と思い込んでいました。
わたしたち人間にとって「永遠」とは「しばらくの間はこのまま」ということなのだ。そう気づきました。わたしの目の前で、あまり心持ちの変わらないわたしだけを置いて、あらゆるものが猛烈なスピードで過去になっていく。暴風雨のなかにいるようです。
夫の葬儀までは無我夢中で、われながらよくやったと思います。その分、いまはとても空虚です。
「いる」と「いない」の違い。夫が「いない」ことが、わたしと物事や風景との距離を大きく変えてしまい、そのことに慣れないままポカンと過ごしています。
夫が倒れて意識が戻らないとわかったとき、すでに「いないも同然」と思っていましたが、それは違いました。3年11カ月、やはり夫はいたのです。
今回は、正真正銘の喪失です。ちょっと手ごわいな、と思っています。
ツイッターなどを通してたくさんの温かいメッセージをいただきました。とてもうれしく、支えられました。心から感謝しています。これからも書いていきますので、よかったら読みにきてください。
高橋道子
カリーナさま
介護デトックスで何度かご一緒させていただいたむめりんです。
8月に入り、介護と子守りで忙しく、今日やっとオバフォーのサイトを開きました。突然の訃報に驚き、カリーナさんのお気持ちを思うと、言葉にならず、その悲しみを察するに余りあります。
今はまだ、あれこれとやらなきゃいけないこと、前に進めなきゃいけない事などなど、沢山のことに追われて気丈に振舞われていることと思います。おっしゃっているように、ご自身を大いに褒めてあげて下さい。
ですが、この先、時間の経過とともに、辛く悲しい気持ちが押し寄せてくるかもしれません。そんな時は誰かに甘えて下さい。正直に気持ちを吐き出していいと思います。
私にはこれくらいのことしかできないのが申し訳なく思います。御免なさい。
これからもカリーナさんの文章を読むのを楽しみに待っています。
とりいそぎ、Twitterをやっていないので、こちらにコメントしました。失礼しました。
むめりん
モット利実
カリーナさん、
ご主人様のこと心よりお悔やみ申し上げます。
バタバタしていて久しぶりにblogを読み
ビックリしてしまいました。
新しい内容から遡って未読だったところを読み2ヶ月後のことを知らないままこの頃過ごしてらしたんだなぁと
小説を読んでるような気持ちでした。
私も、
カリーナさんの介護のお話がずーっと続くと思っていたことに気が付き恥ずかしく思います。
どうお言葉を掛けていいものかわからなくてごめんなさい。
これからもずーと応援してます。
そして自分と重ね合わせて読ませていただきます。
お身体に気をつけてお過ごしください。