夫の死によって、自分の土台になる店や町、ルートを作り直す。
こんにちは!カリーナです。
夫の病院は、家から電車で一時間ほどの場所にあったのですが、なんと、いま、その場所がたまらなく懐かしい!
駅の階段を上るとパチンコ屋さんが2軒あって、お金のなさそうなロックスター風おばあさんが同世代のお金のなさそうなおじいさんたちに囲まれて花壇の縁に座り、悠々と缶ビール片手に煙草を吸っている街。「若者のまま年をとるってこういうことなんだ」と毎回、教えられるような気持ちで前を歩きました。
業務スーパーの前には、ピンクハウス&インゲボルグ全盛期みたいな服装で花柄の袋を脇に置き、道端に座って煙草を吸うおばあさんもしばしば見かけました。髪も、ボサボサともいえるが、見方によっては金子功の奥さん・立川ユリ風。まさに、80年代の「anan」。
激安のオーストラリア産赤身牛肉をスー用に買っていた肉屋さん、おいしい漬物屋さんにキムチ屋さん、15%引きのクーポンを必ず使っていたドラッグストア、ゴミ袋を買う百円ショップ…。生活のほとんどがこの街での調達にかかっていたこと。自分が約3年、この街を土台に暮らしてきたのだと改めて思いました。
さびれた市場の真ん中にグランドピアノが置いてあり、おじさんやおばさんが片手でポロンポロンと弾いていた。毎回、その音色に胸をわしづかみにされ、心がグルングルンしたものです。
いい街でした。何でもあるリサイクルショップで2度、日傘を買いました。おいしいラーメン屋さんを見つけて娘ともう一度行こうと言っていたところでした。
行きたい。歩きたい。
でも、行かないだろうと思います。自分が土台にする店や調達するルート、買い物に出る頻度などをもう一度、作り直さなければなりません。さよなら、何でも安くて現金商売で猥雑でたくましい街。
今週もオバフォーはコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。
匿名
私も夫が亡くなってから、行けない街がいっぱいあります。
私は「あなた」を失ったと同時に「わたしたち」も失った。
「わたしとわたしたち」で構成されていた私は「わたし」だけで構成し直さないといけない。これが難題。