誰だってドンヨリしてる。「他人の嘘」より「自分のドンヨリ」。
こんにちは、カリーナです。
2017年、大失敗に終わった音楽フェス「ファイア・フェスティバル(Fyre Festival)」。超高額のチケットが完売しているのに、本番まで何の準備もできていないというおそろしい様子を描いたネットフリックスのドキュメンタリー「FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティ」に印象的な言葉がありました。
最後まで何とかしようとがんばったスタッフの一人が、「あの日々は、惨憺たるものだったのに自分のインスタを見ると、ハバナの輝く太陽と青い海ばかりなんだ」的なことを言うのです。そこには、現場の混乱も絶望も焦りもまったく映っていない、と。
彼は、嘘をついたわけではありません。実際に目の前に広がる風景を映してアップしているだけ。自分がそこでどんなに苦しんでいても、空は青く、海は透み、太陽は輝いている。それもまた現実なのです。そして、その映像や写真は、何もコメントを入れなくても至福と愉楽に満ちたゴージャスなリゾートを表現してしまう。
私のツイートも、嘘はついていないものの、それなりに取捨選択しているという点において完全な真実じゃありません。
SNSって意図された巧みな自己演出から、意図しない、ほぼ無意識の取捨選択まで、さまざまなレベルの「嘘」なんですよね。影響力の有無に違いはあっても、多かれ少なかれ「嘘」。その人なりの他人に見てほしい「虚像」。どうしても「虚像」になりえない鬱屈や停滞や倦怠や反社会性は心のなかに沈殿し、静かに静かに堆積していきます。
先日、友だちが「確認したら15時間もスマホを見ていたとわかってゾッとした。なんとかせなあかん。平均でも12時間、見てる。やばいわ」と言っていました。
わたしも、そこまでじゃないけど、見はじめたら、どんどんどんどん見続けてしまい、「他人の嘘」でいっぱいいっぱいになって、ふと目を上げた瞬間に「自分の現実」にドンヨリします。この落差がきついよ。こんなに脳内に他人の人生を住まわせてどうする?
ドンヨリぐらいがいい、とは言いませんが、他人の嘘より自分のドンヨリ。大事にして生きていきたいものです。誰だってドンヨリしているのは、間違いない。