できることはできる。過度な謙遜は、不誠実な嘘だと肝に銘じたい。
こんにちは!カリーナです。
「おしゃれをしろと言われましても」という全12回のコラムを、地方新聞(伊勢新聞と新潟日報ではスタートしています。他の地方紙にも順次掲載予定)で連載しています。絶妙なイラストは、中島慶子さんです。
タイトルからわかるように「おしゃれをしろと言われてもなかなか思うようにできない理由」や「どうしても、やる気にならない理由」など、主に50代以降の女性に訪れる、さまざまな「おしゃれから遠ざかることへの致し方なさ」を書いてはいるのですが、ファッションのプロのみなさんが指南するテクニックや心構えや叱咤激励とは重ならないように、そこは細心の注意を払っています。
おしゃれでなくなること、鏡を見なくなること…などなどを肯定的にとらえる回もありますので、どこかで見かけたら読んでみてください。
この連載は、私自身もとてもいい経験になりました。
一番の発見は、「自分が変わったことを知った」ということと「変わらない振りをするのは嘘つきで不誠実だ」と実感したことです。
まあ、相変わらずおしゃれではありません(これは本当)が、暮らし全般について見ると、わりとちゃんとしているほうだと思います。先日来、夫の親戚が複数回、お参りに来てくれましたが、みんな「気持ちのいい家だ」と言っていたので、そこそこ整っているのでしょう。別段、お客さん用に特別な掃除もしていません。
つまり、わたしは、だらしない自分をある程度訓練して変わってきたのです。自分がそれなりに快適と思える家事のルーティン、生活への手のかけかたなどを学んできて、ある程度、できる人間になってきているのです。
そこを文章となると、つい今までのクセで「私もできていない」ほうに立脚して書こうとする。
いや、それは、わたしのよい面でもあるのです。あまり偉そうにしたくない。できない理由もわかるし、できないのが悪いとも思っていない、人それぞれ得意不得意はある…などなど、心の底からそう思っていますから。
しかし、「できているのに、できていない振り」をするのは、間違った謙遜であり、嘘であり、不誠実です。
人は変わっていきます。かつてできなかったことができるようになる。その反対に、できていたことができなくなる。
人生のそれぞれの時期に、過度な謙遜にも、過度な自慢や隠ぺいにも走らず、できることはできる、できないことはできないと社交辞令に頼ることなく語っていきたい、改めてそう思いました。
書く、ことに限らず、日常の人間関係においても留意したいと思います。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。
ムーミン
カリーナさん、こんにちは(^-^) 観客のいない舞台! まさにまさにその通りですね。 カリーナさんのコラム、楽しみにしています!