「怪物」を見て、自分の年齢を受容して映画館を出てきた話。
こちらの記事で募集した「かなぱく」(悲しみの心拍数をあげるもの)に投稿くださったみなさん、ありがとうございます!先週金曜のポッドキャストで紹介させていただきました。よかったら聞いてください。
・・・が!見落としていてご紹介できていないコメントを見つけてしまいました。次回ご紹介させていただきます。ボケていてすみません(>_<)
というわけでこちらの記事では、来週月曜にまとめてご紹介しますね。
これからもよろしくお願いします!
昨日、映画「怪物」を見てきました。
おそらく主役といっていい二人の少年が美しくて、躍動していて、尊くて、わたしは自分の年齢を受容して映画館を出てきました。いや、受容はしていたと思うのだけど、もっとしっかりと受け入れて、やるべきことをやろうと思ったのです。
作品のテーマとズレているのか、真っ当なのかわかりませんが、「人には、年齢相応の役割がある」ということを全編から受け取って出てきたのです。
それは、たとえば、是枝監督や坂元裕二氏、坂本龍一氏といった制作陣の役割。キャストそれぞれの役割。その年齢。その働き。
不穏さを秘めた包容力を演じさせたら右に出る者のない田中裕子氏を見ていると、おそらく、この人は、SNSなどの発信はもちろんドラマ・映画以外の出演も皆無といっていいぐらいないと思うのですが、「自分のなすべきことを淡々と行う人」のすごみと揺るぎなさを感じて見入りました。
若いころ、この人は、自分の手が嫌いと言っていたとどこかで読んだ記憶があるのですが、確かに美人女優にはふさわしくないぽったりと肉厚の手が、いま、どれほどの説得力を持ってスクリーンに映し出されることか。
諏訪湖周辺で撮影されたという、観客の腕や足も水しぶきで濡れるような猛々しくもみずみずしい緑生い茂る自然、そこを秘密基地にして柔らかく官能的に駆け弾む少年たち。
ああ、この少年たちを育まねば。ここにある生命のほとばしりを何より尊重しなければ、と思いました。
「年齢を受け入れなさい」という説く本はたくさんあるけれど、その何倍も響いたなあ。不穏さと不確かさが通低音になっているから余計にそう思うのか。
しかし、是枝監督と坂本裕二氏の作品のヒロイン、クリーニング店で働く率、高すぎん?!(「万引き家族」も、「WOMAN」も「最高の離婚」←これは取次店だったけど)。