間に合ったのか、夫に謝り損ねたのか。ビミョーな私の精神的自立。
こんにちは、カリーナです。
人生は長期戦です。重篤な病気や命にかかわる事故を体験しなかったからこそ言えることですが、62年間、生きてきてしみじみそう思います。
あらゆる価値観が変わりました。
わたしは、47歳からブログを書きはじめましたが、そのころ、「おもしろい」と思って書いていたことに少しずつ自分でも違和感を覚えはじめ、書かなくなったことがいくつかあります。
おばさんやおじさんを滑稽なものとして笑う自虐を含んだこともそうだし、夫に腹が立って当たったこともそう。該当する言葉を当てはめるなら、「ルッキズム」や「エイジズム」、妻から夫への「不機嫌ハラスメント」ということになると思います。
かつてのほうがよかったとは、まったく思いません。
「腹が立つ」「不機嫌になる」は人間にはよくある感情ですが、それを何らかの理由をつけて「(家族を含めたすべての)他人に当たる」ことはハラスメントである、ということです。
この「他人に当たる」「不機嫌をそのまま見せる」という行動は、幼児性や依存や支配欲の端的な表れですから、つくづく「自立」の求められる時代になったのだと思います。長い間、自立とは、特に女性の場合、経済的自立が重視されてきましたが、それとは別の「精神的自立」。男女ともに求められる精神的な成熟です。
自分の感情は自分で処理して、他者に対しては穏やかでいる。それがたとえ、夫であれ、わが子であれ。不満や要望は、冷静に堂々と伝える。(それが難しいのだが!)
自分の心の空洞を、他人を支配して満たそうとしてはいけない。
そう思うと、家族とは修練の場所ですね。
夫はもう亡くなってしまいましたが、私は、年とともに精神的に自立し、穏やかになっていったので(それだけ若いころは当たっていたということ)かろうじて間に合ったのか、謝り損ねたのか。ビミョーです。
今週もオバフォーはコツコツ更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。