妥協の幅が許せるなら、その人生はおそらく及第点。
こんにちは、カリーナです。
家が好きで、家のことをいろいろ考えるのが好きです。
自分の家もまあまあ好きで、妥協したり、間に合わせたりしながら集めてきたものが、その不徹底さも含めて「わたしらしいなあ」と思います。あのときに買ったこれは、こういう事情でテキトーに選んでしまった結果、いま、家にいるんだな…そういう判断がまさしくわたしそのもの。
自分のいくつもの選択の結果とそれらが積み重なった暮らしの時間が「かたち」になったものがこの部屋であり、それを、毎日眺めては「悪くないな」と思うのです。
ということは、つまり、人生そのものが及第点ってことじゃないだろうか。
わたしが評する、わたしの人生。
挫折もあったし、うまくいかないこともあったし、人間としてどうよ?と思うこともあったけれど、それらも含めて小物のわたしらしい。妥協したり、間に合わせたりしたり、テキトーに済ませたり、忘れたふりをしながら積み重ねた時間。わたしのこの部屋みたいだ。
その「妥協の幅」が許せる。
もっとがんばれば手に入ったものがあったかもしれないけど、そこでそうしなかったのもわたし。できなかったのもわたし。
同じように、この部屋には、「うん、イマイチだな。もう少しいいものが欲しかったな」と思うものが多々あるけれど、でも、許せないほどのものはまあ、ない。他のものと適度なバランスでなんとか収まっている。いつか時期がくれば、もっといいものに変わるかもしれないし、そのままここにあるかもしれない。それもいいや。
人生も同じなんだなあ。
妥協の幅が許せるなら、その人生はおそらく及第点。
わたしは、そんなわたしの「不徹底ながらも、良きものをめざしてきた人生」という容器のなかで居心地がいいわけです。
・・・ということに最近、ようやく気づきました。器を丈夫に保って、長生きしたいです。
今週もオバフォーはコツコツ更新します。時間のあるときに、遊びに来てください。待ってまーす。