「ちょい大きめの笑顔」が幸せを運んでくれるという、あたりまえだけど忘れていた教訓。
こんにちは、カリーナです。
昨日の朝、スーと散歩に出ると、いつも「福ちゃんのお父さん」と呼んでいるおじいさんが歩いてきたので、「あああ!お久しぶりです!スー、福ちゃんのお父さんだよ!」という意味を込めてニッコニコで挨拶し、お辞儀しました。
福ちゃんというのは、今は亡き大型の雑種犬です。スーが子犬のとき、ゆったりと構えていつも優しく相手をしてくれました。そのせいか福ちゃんが亡くなっても、スーはこのおじいさんを見ると、トコトコと近寄っていき、ときには後をついてしばらく一緒に散歩することもあります。
さすがのスーも最近は少しそっけなくなってきたので、その分、わたしがやや大げさに挨拶するようになってしまいました。福ちゃんのお父さんの「スーは僕が好きだからねえ」という自信に水を差したくない。飼い主のわたしが少しでも応えたい!と思ってしまうのです。
今朝、福ちゃんのお父さんと思った人は、まったくの別人でした。でも、引っ込みがつかないので、そのままニッコニコの笑顔でいると、なんと、その白いTシャツ姿のおじいさんは、わたしと同じくらいニッコニコで深々とお辞儀をしてくれたのです。
さらに、そこへ別の方向から歩いてきたおじいさんが、「おはようございます!」と大きな声で挨拶に加わりました。これまたニッコニコ。あわてて、「おはようございます!」と返しました。
なんだ、この、高齢者笑顔のトライアングル。
ちょっと面白い展開になったなあと思いながら、笑顔は、少し大げさなくらいでちょうどいいのかもしれないなあと考えました。
わたしも普通にしておけば、仏頂面に見える年齢になってきました。
姿勢にも体型にも肌にも髪にも張りがない。「ご機嫌でも不機嫌でもない通常モード」で歩いていると、何となく仏頂面寄りに見えているだろうなあと思います。周囲を歩く年輩の人たちを見てもそうだから。わたしも似たようなものでしょう。どことなく、心が内向しているというか、まわりにさほど興味がない状態で歩いているように見えるというか。(まあ、実際そうなんだが)
だから、通常モードで口角をかすかに上げたかな程度の笑顔で会釈しても、あんまりにこやかに見えないのかもしれません。
今回、ちょっとびっくりしたのは、相手の方が二人とも「おじいさん」だったことです。早朝ウォーキングのおじいさん。
常日ごろ、「不愛想といえば、おじいさんでしょ」と思ってきたおじいさん方が、あんなにニッコニコになるなんて驚きでした。
たまたま感じのいいおじいさんに会ったのかもしれないけど、「ちょっと、いつもより大きめの笑顔」で接する効果は、思ったより大きいのかもしれません。
「だれとも挨拶しない早朝ウォーキング」と「だれかと挨拶を交わした早朝ウォーキング」では、家の扉を閉めた瞬間の気分が大きく違うから。わたしの場合は犬の散歩ですが、それでもやっぱり違います。
一人暮らしの高齢者が増え続ける時代だからこそ、「行きかう朝の挨拶」に少し大きめの笑顔。
意外に、そんな些細なことが年を重ねていく自分に日々の幸せを運んでくれるのかもしれないと思いました。明日の散歩でもやってみます。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。