最後に腹をくくるべきは、「亡くなる瞬間誰もそばにいなくていい」と思えるかどうか。
こんにちは、カリーナです。
いまでこそ、細かい収納グッズは100円ショップにもたくさんありますが、かつては、そのモノはもちろん、その概念もない時代がありました。きっときれい好きで収納上手な人たちは、厚紙や段ボールなんかを使って引き出しの仕切りを作ったりしていたんでしょう。(牛乳パックもなかった時代とか)
わたしが、「こんな、すき間収納グッズがあるのかああ!こんなふうに収納すれば、こんなにキッチンがすっきりするのかあああ!」と感動したのは、1980年代中盤から90年代頭にかけてだった気がするんですよね。当時、クロワッサンの収納記事を熱心に見たのを覚えているからです。
それまで「食器棚」「たんす」「本棚」+多機能に使える「カラーボックス」ぐらいの大まかで融通も応用も効かない「収納」の世界が、一気に細かくカスタマイズ可能になり、小さなすき間に小さなわたしの欲望を、文字通り収納できるようになりました。あのころから、キッチンは一気に「何も出ていない生活感のない空間」が良しとされるようになり、インテリアも大きく変わっていったのです。
これ、今後の介護にも当てはまるのではないか…と、いろいろ読むうちに思うようになりました。自分が「介護する」間はちょっと難しいですが、「介護される」側になったとき。
「在宅」か「施設」か「病院」かという大まかな選択の世界から、小さな選択肢を組み合わせ、これまではあきらめていたような自分の小さいけどとても大切な欲望(尊厳)を収納できる介護が選べるのではないか。
この本を読んで思いました。
たとえば、「介護施設に向いている人はどんな人か」(つまりは施設に何を収納したいのか まあ、この場合、自分なんですけども。「どんな自分」をそこに収納したいのか。そもそも自分は、そこにぴったり収まるのか)、どんなサービスを使いたいのか(介護保険サービスだけでなく自費サービスもできる範囲で選べる。安価に頼めるものもある)、転倒の危険がなく、自分でトイレに行ける家はどこをどう手直しすればいいのか(大がかりなリフォームでなくても)とか。
いわば「人生会議」(ACP Advance Care Planning)をまずは自問自答から始めて、それから家族や、それ以上に介護や医療のスタッフと共有していく。そうやって自分の欲望ができるだけ反映される「死ぬまでの生き方」をカスタマイズする。内容は、自分の気持ちの変化に応じて何回変えてもよい。(片付いている人の家が、しょちゅう手直しされているとの同じですね)
終活というと、一般的に
「自分の老後や亡くなったときに備え、お葬式や墓、遺言、相続などについて決める一連の取組を指すことが多く」
どちらというと『遺された人に迷惑をかけないため』だけど、
「人生会議」(ACP)は、「自分が大切にしていることは 何か」「自分はどう生きたいか」など、自分の価値観や生き方、これからの過ごし方のほか、最期が近づいてきたときの医療や介護のことなどを含めて、自ら考え、家族 や大切な人と繰り返し話し合うプロセスのことを指します」(東京都保健医療局 ちょっと待って、誤解してない!? ACP より)
なるほどーーー。
人生、何があるかわからないけど、攻めの姿勢で老いていきたい。それは、病気にならないようにするとか、いつまでも現役でいたいとか、若々しくいたい、とかではまったくなく、病気なら病気の自分にもっとも居心地のいい場所や生き方はどんなもので、どこにいたら、曲がりなりにも「誰にも気兼ねせず、自分のペースで生活する」が可能なのかを考える生き方。積極的に介護サービスを受けて、自分でカスタマイズする生き方。
最後に腹をくくるべきは、「亡くなる瞬間誰もそばにいなくていい」と思えるかどうかだと。なるほど、そこか。そのハードルだな。(わたしの夫は、先生も看護師さんもそうは言わなかったけど、「巡回したら死んでいた」んだと感じました。だから、だれもそばにいなかった。病院や施設でもそのケースは多いと本にも書かれていました)
一つひとつ、やっていこう。そういうわけでこの本、オススメです。前向きになりました。
オバフォーは今週もコツコツ更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。