「まとまった形で」「時系列で」「思いきり」だれかに話すという自己救済法。
こんにちは、カリーナです。
先週、娘が小1から高校卒業まで習っていた(ほとんどおしゃべりしに行っていた)ピアノの先生とふたりでお昼を食べました。
わたしの本を読んでくださり、丁寧な電話をもらって初めてふたりで会うことになったのです。「娘と3人で」と言ったら、「いえいえ、お母さんとふたりで!」と、なぜか熱い。
先生は、77歳。10年前にダンナさんががんで亡くなった経緯を詳しく話してくださいました。
ほんと、人生は何があるかわからないと思ったのは、ダンナさんの闘病中、先生ひとりでは大変だったので、娘さんに時々手伝いにきてもらっていたら、その娘さんのダンナさんが30代で突然、亡くなったというのです。
幼い子どもを2人抱えた娘さんは立ち直れないほどショックを受けるし、闘病中の先生のダンナさんは「俺のせいだ」と激しく落ち込むし、先生は先生でふたりの心身のケアに明け暮れる…。
なに、それ。いくらなんでも、大変すぎるだろ。
さらに現在まで、あまり働けない娘さんに経済的援助を続けているそうで、「まさか、こんなことになるとは」と泣き笑いで話してくださいました。
わたしの本がきっかけになって、自分の経験を語りたくなったんでしょうねえ。もちろん、わたしの話も聞いてくださいましたよ。
つらいこと、つらかったこと、乗り越えたことなどなど…人は、それらを一度、「まとまった形で」「時系列で」「思いきり」だれかに話したいんだなあ。
そういえば、わたしは話したっけ?と考えたら、本という盛大なかたちで「まとまった形で」「時系列で」「思いきり」話していました(笑)。
話す、って自分の心を整理するために本当に大切なんですよねえ。「話す」ということから、過去との決別や問題の解決が始まるといっても過言じゃない。どんなに自分を客観視するのが苦手でも、誰かに話しはじめた途端に「自分を客観的に見ざるを得ない」し、自分の語る声も聞こえてくるし。
先日、依存症治療の専門の方が「(依存症に苦しむ)男性の多くは、自分の気持ちをうまく言葉にできない」と言っていました。
言葉にすること、話すこと、聞いてくれる人がいること、自分も聞き役にまわること。大事ですね。
いよいよ今週土曜日は、オバフォー祭り。たくさん話して、たくさん聞いて、できれば笑って過ごしたいと思います。
風邪ひかないようにしないと!
オバフォーは今週もコツコツ更新します。時間のあるときに遊びに来てくださいね。待ってます!