「ああ、一人じゃなかったらなあ」と嘆きたくなるときのプチ戦術。
こんにちは、カリーナです。
基本的に機嫌よく過ごしていますが、時々、「ああ、一人じゃなかったらなあ」と思うことがあります。
今週は、その率が高いウイーク。というのも、早朝5時半に家を出なければならない日があるからです。「毎日、その時間に出てますよ」という方も大勢いらっしゃるでしょうが、わたしの場合、ほら、その、なんというか…犬の散歩がありますから。
5時半に出るには、少なくとも5時には準備しなければなりません。ということは、その前に散歩に行っておく必要がある。長い留守番になりますから、できるだけたくさん歩いて疲れさせたい…ってことは、4時頃から散歩!?(真っ暗やん!)疲れたとき、家がぐちゃぐちゃだと気分が落ちるから、ある程度、整えて出て行きたい。現場が遠いから、朝ごはんも食べたい。そう思うと遅くとも3時半には起きなければいけないな。理想は3時。さんじーーーーーーっ!?
それって朝?
ここで、「あああ。朝、散歩してくれる人がいたらなあ」と思いそうになるのです。思いそうになるのですが、そう思ってしまうと、すごく自分を憐れんでしまい、恨めしい方向にどっぷり浸りそうになるので、「こういうとき人は、『朝、散歩してくれる人がいたらなあ』と思うんだろうなあ」とワンクッション置くことにしています。
「愚痴」を「直球」から「カーブ」にするというか。「伝聞推定系」にして、そこはかとなく「他人事」にするというか(笑)
同じく今週末には、インターホンの交換工事を頼んでいるのですが、このときもスーをどうするかが悩みです。初めての人にはしばらく吠えるから邪魔じゃないですか。わりに大きい犬だし、工事の人も怖いでしょう。
またもや、「誰か見ててくれたらいいのになあ」と思いそうになりますが、「こういうとき『誰か見ててくれたらいいのになあ』と思うんだろうなあ」と推測するかたちに変えて他人事する。
どんな効果があるのかと聞かれたら、「ど、どうだろう?」と首をかしげるしかありませんが(笑)、「現状を憐れみたくなる自分を少し離れたところから見る」ことにはなっているんじゃないかな。愚痴には類型があるので、その類型にあてはめて「ああ。そういうことか。わたしも今、そこにはまっているんだな」と冷静に見つめることにはなります。
愚痴のなかに入らず、愚痴を言う自分を一般化かつ遠景化して眺める戦術?
まあ、度を超えた早起きもインターホン工事も渦中に入ってしまえば、淡々と行動するのみ。そして、行動してしまえば、終わりに向けて着々と時は過ぎるのみ。来週のこの記事を書くころにはすべて終わっています。
ま、ぼちぼち、がんばるか。
それはそうと西日本、梅雨明けしてしまいました。おそろしい。長い長い夏をなんとか乗り越えましょうね。疲れたら、エアコン効かせて昼寝して。わたしもそうしまーす。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってます。